日々のことば(ブログ)

✍️少子化と未来予想図──「自分ごと化」しなければ、この国は終わる

おはよう。夏の終りの気配。体感的に少し涼しくなったということを感じる。

さて今日は、巷でも話題になっている少子化について、もっとみんなが具体的にイメージできるような説明をして、“自分ごと”としての危機意識と、同じ社会を生きる者としての意識を持てるような記事を書いてみたいと思う。

「少子化、少子化」って言葉だけが一人歩きして、まるで“高齢化”と同じように、教科書のキーワードみたいに聞こえている人も多いと思う。でも、問題は言葉じゃない。その中身を、どれだけリアルに想像できるか。そこなんだ。

◾️日本の今と未来──人口と労働力の推移

・総人口(2025年時点):約1億2,330万人

・出生数(2023年実績):74万8,000人(過去最少)

・死亡数(2023年):約159万人(出生の2倍以上)

・労働力人口(15〜64歳):約7,400万人

・2060年には総人口が約8,700万人に減少

・2100年には6,400万人を切る可能性あり(現在の約半分)

もっとわかりやすいイメージで言うと、35年で人口が3,600万人減少する見込み、ということは…→ 東京・大阪・神奈川の人口が“丸ごと消える”レベル。

 けれど、それはただ人が減るという話じゃない。渋谷のスクランブル交差点が閑散とし、満員電車が空席だらけになり、通学路に子どもの姿が見えなくなる。コンビニの数も、病院の診療時間も、当たり前だった日常が静かに姿を消していく。これは、街の灯りが一つずつ消えていくような、目には見えにくい崩壊なのだ。

◾️人口が減ると何が起きるのか?──具体的な生活への影響

「人口が減る」と言われても、どこか遠い話のように感じる人は多いかもしれない。でも、それが日々の暮らしにどう影響するかを想像してみてほしい。

まず、子どもが減る。

地方の小学校や中学校は、統廃合が進み、通学距離はどんどん伸びていく。「隣町の学校までバスで1時間」なんていうのが、普通になる。中には、毎日通えず、通信教育を選ばざるを得ない子どもたちも出てくるかもしれない。

そして、働く人が減る。

今でも人手不足が叫ばれているけれど、このままいけば、病院では看護師が足りずに予約が取れず、介護施設には入れず、荷物は届かず、建設現場は止まり、地域のスーパーは閉店──そんな日常が当たり前になっていく。

一方で、高齢者は増え続ける。

若い世代が2人いれば、高齢者3人を支えなければならない。税金、介護、医療、年金、あらゆる負担がのしかかってくる構図だ。

当然、税収も減る。

道路の補修が遅れ、水道管の更新が進まず、バスや電車の本数も減っていく。暮らしに必要な公共サービスは縮小され、その財源を確保するために、増税かサービスカットか、選ばされる時代がやってくる。

そして、地方の町は消えていく。

実際に、全国896の自治体が「消滅可能性都市」として挙げられている。お祭りがなくなり、商店街が閉まり、人が去った街に残るのは、使われなくなった校舎と、ひっそりした駅だけ──。

そうなってからでは、もう遅い。今、数字の向こうにある「日常の崩れ」を、想像しなければならないと思う。

◾️世界の出生率と少子化状況(2023〜2024年時点)

少子化という問題は、日本だけのものではない。多くの国が、時代の流れとともに出生率の低下に直面している。ただ、その深刻度と背景は国によってまったく異なる。

たとえば、日本の出生率は1.20(2023年時点)で、これはOECD加盟国の中でも最下位クラス。一方で、さらに衝撃的なのが韓国の0.72という数字。世界最低水準であり、出生数はついに20万人台にまで落ち込んだ。この傾向は中国や台湾など、アジア圏の他国でも加速している。

ヨーロッパに目を向けると、たとえば:

・ドイツは1.46と、かつての1.3台からやや回復傾向

・フランスは1.79と比較的高水準を維持しており、手厚い家族政策がその背景にある

・スウェーデンも1.66で、ジェンダー平等や柔軟な育児支援体制が大きな効果を上げている

・一方で、イギリスは1.61と少しずつ下降傾向。保守化の影響も指摘されている

アメリカは1.66。州によって差はあるものの、文化的な多様性や移民の存在が一定の出生率を支えている面もある。

そして、発展途上国に目を向けると、たとえばナイジェリアは5.3と依然として非常に高い。ただし、こうした国々でも、都市化や教育水準の上昇、女性の就業増加などを背景に、出生率は少しずつ下がってきている。インドはすでに2.0で、人口置換水準(2.1)を下回る兆しが見えている。

このように見ていくと、世界全体が「少子化社会」に向かっているのは明らかだ。ただ、その中でも日本は特異な立場にある。

・出生率の低下が極端に速い

・高齢化が同時に進んでいる

・移民人口の受け入れが極めて限定的

・長時間労働や都市集中など、“子育てしにくい社会構造”が色濃く残っている

つまり、日本は「急速な高齢化」と「極端な出生率低下」という2つの現象が同時進行する、世界でもまれな国なのだ。

欧州諸国が政策で持ち直しているように、政治の意思と社会制度の再構築次第で、流れを変えることはできる。だが、逆に言えば、何もしなければ確実に社会は縮んでいく。

この比較から見えてくるのは、「日本だけが深刻」ということではなく、「日本がいち早く、未来の世界の縮図を体現しはじめている」ということかもしれない。

◾️僕の子どもたちの未来──“自分の世代”を重ねてみる

僕はいま、44歳。子どもたちは、1歳から10代後半までいる。彼らが僕と同じ年齢になるのは、およそ30年後から40年後。ほんの数十年先の話だ。だけど、その“たった数十年”で、日本は、想像以上に大きく変わってしまう。

その頃の日本は──

・総人口が9,000万人を下回ると言われている

・高齢化率は40%を超え、街の半分近くが高齢者に。僕もその頃は高齢者だ。

・働き手となる世代は、今より2,000万人以上も少なくなる

・出生数は50万人台まで落ち込む可能性がある

・年金制度、教育制度、住宅制度、雇用構造など、

 

今の“当たり前”は通用せず、全部が再設計されているかもしれない。その中で、うちの子どもたちは大人になり、もし親になるとしたら、今の僕と同じように子育てをしている頃だ。

でも、

・そもそも彼らが親になれる環境にあるのか

・その子ども、つまり僕の孫が、ちゃんと学校に通えて、働く場所があって、安心して生きていける世の中があるのか。

すべては、今、僕たちがどうこの社会を設計していくかにかかっている。

◾️「子どもを産め」と言うべきではない理由

「もっと子どもを産めばいいのに」「なぜ若い人は結婚しないのか」そんな言葉を聞くことがある。だけど、それはあまりに一方的で、視野の狭い問いかけだと思う。

子どもを持つかどうかは、個人の自由であると同時に、社会の仕組みや価値観、経済状況にも大きく左右されている。つまり、これは“個人の問題”であると同時に、“社会の問題”でもある。

たとえば、こんな現実がある。

・非正規雇用の不安定さ

・長時間労働と育児の両立困難

・保育施設の不足と待機児童問題

・教育費の高騰と進学格差

・子育て世帯の孤立と地域コミュニティの弱体化

こうした社会的背景が、「産まない」ことを選ばせているのだ。それを個人の責任だけに押しつけるのは、あまりに酷だ。

僕にはたくさん子どもがいる。だからこそ、この問題を他人事じゃなく、身をもって痛感している。たとえば20年前の子育てと今を比べれば、確かに保育料の制度も、会社の育休制度も、いろんな支援が進化してきた。それは素直に「ありがたい」と思っている。

でも、それでもまだ足りない。もっとこうなってほしい、ここが壁になる、という場面には日々直面する。

子育てというのは、制度が“ある”かどうかだけじゃなく、実際に「使える」か、「安心できる」かが本質なんだ。そういう現実がある限り、「産みたいと思える社会」は、まだ完成していない。

産めばいい、ではない。産んでも、安心して暮らせない社会では、子どもを迎えることそのものがリスクになる。そんな社会では、希望は育たない。だからこそ必要なのは、「産め」という圧力ではなく、「産みたい」と思えるような社会を、みんなでつくることだと思う。

◾️何が必要なのか──具体的な提案

じゃあ、僕たちはこの少子化の時代に、何をすればいいのか。一人ひとりの「覚悟」や「努力」だけに頼るのではなく、社会としてどう支えていけるのか。いくつかの柱に分けて、具体的に考えてみたい。

まず必要なのは、やはり経済的な支援だ。

児童手当や出産・育児に関する給付金を、もっと柔軟かつ手厚い仕組みにしていく。家族の収入に応じた負担軽減策だけでなく、住宅手当や家賃補助、引っ越し支援のように、生活そのものを安定させる方向での支援が求められている。

次に、雇用の安定だ。

非正規雇用の是正はもちろん、子育てとキャリアを両立できる働き方を、当たり前の選択肢として社会に根付かせる必要がある。育休制度が整ってきたとはいえ、現場では「取ると評価が下がる」「戻ってもポジションがない」といった空気が残っている。制度があるだけではなく、“安心して使える空気”が大切なのだ。

そして、教育費の軽減も大きな課題だ。

義務教育は無償とされていても、給食費、修学旅行費、制服代、塾や習い事…すべて含めれば、家計への負担は決して軽くない。高等教育の無償化や、奨学金の返済支援制度の拡充も必要だし、もっと言えば、「子どもがやりたいことに挑戦できる社会」こそが希望を生む。

それから、保育と地域の再構築。

待機児童ゼロという目標は、まだ達成できていない自治体も多い。保育の“質”や“柔軟性”も問われている。また、ワンオペ育児に陥らないためには、地域に頼れる場所──子育て支援センター、ファミサポ、地域の多世代交流といった、親を孤立させない仕組みが欠かせない。

最後に挙げたいのが、家族観の多様性だ。

今の制度は、結婚していないと支援が受けられなかったり、同性カップルだと制度の対象外だったりする。だけど、現実の家族のかたちはもっと多様だし、誰もが「結婚」という枠組みに入るわけではない。さらに、今の日本は離婚率が高い社会でもある。一人親家庭への支援はもちろん大切だが、それと同じくらい、僕は声を大にして言いたいのが、養育費を払う側への支援も必要だ。子どもを思って支えようとする人が、不安定な生活に追い込まれ、「支えたい気持ちはあるのに、支える手段がない」──そんな状況はあまりにも切ない。それが制度の“前提”の硬直さによって起きているのだとしたら、それはもう見直すべきだ。子どもを育てる環境は、親の性別や婚姻の有無、そして家族のかたちによって、線引きされるべきではない。「結婚して、家庭を築くことだけが正解」という発想から抜け出して、今の社会のリアルに沿った、柔軟で実効性のある支援のあり方を考えるべきだと思う。

◾️少子化は「親」だけの問題じゃない

「自分には子どもがいないから関係ない」──そう思っている人がいたら、それはちょっと違う。

たとえば、自分が年を取って病院に入院したとき、お世話をしてくれるのは誰だろう?看護師さんも、介護士さんも、みんなかつては“誰かが育てた子ども”だ。

荷物を届けてくれる宅配の運転手も、朝早くからバスを運転してくれる人も、水道や電気のトラブルを直してくれる整備士も、コンビニで働いている若者も、みんなそうだ。

つまり、少子化が進むということは、こうした“当たり前の生活を支える人たち”がいなくなっていく、ということ。

少子化とは、親だけの話でも、子どもを持つかどうかの話でもない。自分の未来の暮らしが、静かに危うくなっていく話なんだ。

さて、今日も朝から、ずいぶん長文になってしまった。でも、伝えたかったことを、ちゃんと言葉にできた気がしている。とにかく今、僕が一番伝えたいのは、「具体的に想像する力」の大切さ。数字や言葉だけでは伝わらないものを、自分ごととしてイメージすること。それが、これからの社会を考える上で、何よりも大事なんだと思う。

そんなことを考えながら、

今日も一日、マクロな視点で社会を見つめつつ、ミクロな自分の目の前の生活──仕事、音楽、勉強──を丁寧に頑張っていきたい。

今日も、離れた場所で、僕の愛する家族それぞれが頑張っている。同じ空の下で、それぞれが幸せをより豊かにしようと、懸命に生きている。それを、誇りに思っている。

心から、愛している。

どこにいたって心はひとつ。


.
松永 修 – MUSICおさむ

松永 修|MUSICおさむ|国家公務員|キャリアコンサルタント|作家・メディアクリエイター/音楽クリエイター(シンガーソングライター)|IT・AI設計・コンサルタント

関連記事

最新記事
会員限定記事
おすすめ記事
PAGE TOP
ログイン 会員登録
会員登録