日々のことば(ブログ)

✍️ 「私はどう老後を過ごすのか」──介護の現実と“意思を残す”という最後の備え

おはよう。今日は少し雨がぱらついている。でも空気は涼しくて、なんだか気持ちいい朝だ。昨日は高齢化社会の話を書いたけれど、今日はさらに踏み込んで、介護の実態と未来を描いてみたい。

誰もがいつか必ず老いていく。自分のこととして想像できている人は、どれくらいいるだろうか。

これは決して「高齢者だけの問題」ではなく、若い世代である僕たちにとっても避けて通れない、誰にとっても平等に向き合うべきテーマだ。

僕はこれまで多くの高齢者や家族の声を聴いてきた。その経験を通じて感じるのは、介護に“正解”はないということ。ただ、誰にでも参考になり、自分の人生を考えるヒントになることは確かにある。今日はそうした思いを、何かに偏ることなく、誠実に綴ってみたい。

◾ まず大切にしたいのは「本人の意思」

介護を考えるうえで、制度や数字よりも最初に大切にしたいのは「本人の意思」だ。

誰もが「自分の人生は自分で決めたい」と願っている。認知症が進んでも、寝たきりになっても、最後まで残るのは「自分らしくありたい」という感情だ。

だからこそ、介護をどう受けたいか、どこで暮らしたいかを元気なうちに言葉にしておくことが大切だ。そうしなければ、いざという時に家族が苦渋の選択を迫られ、親子関係が壊れてしまうことすらある。自分の自由を守る準備をすることは、自分の権利を守ることにつながる。そしてその姿勢は、親を支えるときにも、子どもたちに支えを残すときにも役立っていく。

僕はいま44歳。親の介護がいずれ本格的に始まる前だからこそ、まずは自分自身の介護の希望マップを、今のうちから少しずつ描いていこうと考えている。

◾ 介護認定という入り口

介護サービスを利用するには「要介護認定」が必要だ。市町村に申請し、調査や医師の意見書をもとに「要支援1・2」「要介護1〜5」に区分される。

65歳以上では約5人に1人、75歳以上では3人に1人以上、85歳以上では2人に1人以上が認定を受けている。高齢になるほど、多くの人がこの制度の入り口に立つ。

要支援レベルではデイサービスやリハビリなど比較的軽度の支援、要介護度が上がるにつれて訪問介護や施設入所などの選択肢が広がっていく。そして特別養護老人ホーム(特養)は原則として「要介護3以上」でなければ入所できない。つまり認定のレベル次第で、受けられるサービスの幅が大きく変わる仕組みだ。

また問題は、そもそも本人が認定を受けようとしないケースだ。「まだ介護される年齢じゃない」「一生介護なんて受けない」と拒む人も多く、その結果、本来受けられるはずの支援が届かないこともある。もちろんそれも本人の自由ではあるが、拒んだままでは家族の負担が過度に重くなり、結果的に本人自身の選択肢も狭まってしまう。

だからこそ、まだ若く元気なうちから「どの段階でどんな支援を受けるか」「どこで暮らすか」を客観的に描いておくことが大切だ。自分の意思で“撤退戦”を設計しておけば、必要になったときに家族が迷わず、本人も納得できる形で介護を受けられる。意思を示しておくことは、未来を守る最初の準備になるのだ。

◾ 認知症と薬、晩年の親子関係の揺らぎ

介護が必要になる最大の原因は認知症だ。高齢者の4人に1人が認知症かその予備群とされ、80代後半では男女の3〜4割、90代では男性の半数、女性の8割以上が発症すると見込まれている。糖尿病や高血圧などの疾患を抱える人では、その割合がさらに高まるという統計もある。

認知症が進むと、それまで高血圧や糖尿病の薬をきちんと飲んでいた人が、急に服薬を拒否したり、こだわりから飲まなくなったりする。家族は「健康のために続けてほしい」と願うが、本人は「もう必要ない」と感じて衝突になる。同様に、認知症の進行を遅らせる薬も今は開発が進んでいるが、あくまで進行を遅らせるだけだ。予防を強調しても、本人が「自分はボケてない!」と怒り、家族に当たるケースは珍しくない。

だからこそ、脳がまだ元気なうちに、あるいは軽度の段階で「自分の決断ノート」を作っておくことがとても有用だ。人は他人に決められるよりも、過去の自分の意思に従う方が納得できる。将来の自分が迷ったときに「昔の自分が決めた方針」が残っていれば、本人にとっても家族にとっても大きな支えになる。

また、晩年は「親と子の役割が逆転する時期」でもある。かつて親が子を守ったように、今度は子が親を守る。だが人間関係は本来対等であり、この逆転は双方にとって負担になる。親は「自分で決めたい」と思い、子は「安全を確保したい」と思う。そのズレが摩擦を生み、関係が悪化することもある。

心理学的にいえば、人は誰もが「自立欲求」を持ち、それを奪われると強く反発する。社会学的に見れば、介護は世代間で役割が入れ替わる場面であり、戸惑いや抵抗が生じるのは自然なことだ。だが同時に、本人の意思を尊重する環境があれば、人は制約の中でも幸福感を保ちやすい。介護とは、制約の中で自己決定を支える営みだと僕は思う。

◾ 制度が支えるセーフティーネット

介護保険制度は、利用時の自己負担を1〜3割に抑えている。さらに「高額介護サービス費」により、一般所得者は月44,400円を超えた分が払い戻される。医療との合算で「高額医療・高額介護合算療養費制度」もあり、収支が崩壊しないよう守られている。

そして、もし年金も貯蓄も乏しい場合には、生活保護がある。憲法25条に規定された「健康で文化的な最低限度の生活」を具体化する制度であり、介護扶助が適用されれば自己負担なしで介護を受けることもできる。経済的基盤の大小によって選択肢の幅は変わるが、誰一人として見捨てられることはない。

ただ現実的には、多くの人にとって「年金収入でギリギリやりくりし、多少は貯蓄を切り崩す」という形になる。貯蓄や任意保険の給付がなければ、やむなく子どもに一部を負担させるか、サービスの質を落とすか、という選択肢に迫られることも少なくない。だからこそ若いうちから、年金以外の準備金を少しでも積み立てておくことが、子どもたちの負担を減らし、自分らしい自由な生き方を守る布石になる。

さらに、比較的安価な特養であっても、空きが出るのに数年待つことは珍しくない。余力がなければ、自分の希望どおりにいかない場面は必ず出てくる。そしてそんな時こそ、支えてくれる子どもや周囲との関係が悪化するリスクも増す。よくある話だからこそ、今のうちに想像力を働かせ、自分の希望とそれに見合った準備を整えておくことが欠かせない。希望だけを唱えて準備をしなければ、それは単なる自己中心的な願望になり、結果的に不一致や摩擦を生みやすい。

僕はこれまで高齢者と向き合う現場で多くの方と出会い、その中で数えきれないほどの失敗談や経験談を聞いてきた。そこから学んだことが、まさに今書いている思いにつながっている。机上の理屈ではなく、現実の声から導いた結論だからこそ、少し信じてもらえたら嬉しい。

◾ 経済的な現実と費用感

制度の仕組みがあっても、やはり老後を支えるのは「実際にどれだけのお金が動くのか」という現実だ。例えば年金を見ても、国民年金は月5〜6万円前後、厚生年金を含めると平均で14万5千円ほど、夫婦二人世帯ではおよそ23万円が目安とされる。

一方で施設の費用を見ると、サービス付き高齢者住宅(サ高住)は初期費用が20万円前後で月額は16万円ほど。有料老人ホームは入居一時金が100万円を超える場合もあり、中央値は20万円弱、月額は16〜17万円が一般的だ。特別養護老人ホーム(特養)は比較的安価だが、全国で数十万人が入所待機をしているのが現実だ。

つまり、実際の入居者の6割が月10〜20万円の範囲で生活しているように、年金だけでは足りず、貯蓄や保険、制度的助成をどう組み合わせるかが、老後の生活の質を大きく左右する。

◾ 支える側・される側のリアルな思い

介護者の7割が「心身の負担を感じている」と答える一方で、介護を受ける側の6割以上が「家族に迷惑をかけたくない」と感じている。施設入居者の多くは職員に感謝しているが、「もっと自分の意思を尊重してほしい」と願う声もある。

支える側には「もっと良い介護をしてあげたいのにできない」という罪悪感や孤独感がのしかかる。される側には「ありがとう」という感謝と同時に、「自分のせいで家族が疲れているのでは」という不安がつきまとう。お互いが相手を思いやるからこそ、気持ちがすれ違い、重たさを増してしまう。

結局のところ、制度やお金の問題を超えて、両者に共通するのは「自分の気持ちを大切にしてほしい」という願いだ。その願いに応えるのは、大きな犠牲や特別な努力ではなく、日々の小さな対話や尊重の積み重ねだと思う。例えば「今日は何を食べたい?」「散歩に行きたい?」といったささやかな選択を委ねることでも、人は自分の存在を認められたと感じられる。

介護の質を決めるのは、設備や制度以上に、こうした人間同士のやり取りだ。心の交流をどう守り続けるかこそが、最後に残る“介護の本質”だと僕は思う。

◾ 未来への僕の決意

僕はいま44歳。まだ介護を受ける年齢ではないけれど、40年後には確実にその時が訪れるだろう。だからこそ今から「自分がどう老後を過ごしたいか」を描き始めることが大切だと感じている。

「ここまでは自宅で」「ここからは施設で」「服薬についてはこうしてほしい」──そんなラインを自分なりに決め、随時更新しながら、意思ノートに残しておく。生前に何度も子どもたちへ押し付けるように語る必要はない。ただ「その時が来たら、これを見てほしい」と伝えておけば十分だ。そうしておけば、周りも自分自身も納得できるし、子どもたちも迷わずに支えてくれるだろう。

そして、自分が準備をしておくことは、親を支えるときにも役立つ。同じように子どもたちを支える力にもなる。未来を描き、自分の意思を伝えることは「世代を超えて支え合う力」になるのだ。

◾ おわりに

介護は「親の問題」でも「子の問題」でもなく、自分自身の問題だ。

未来を考えることは、今をより豊かに生きることにつながる。

僕は、大切な家族や仲間、そして離れて暮らす家族と繋がっている。多くは望まない。ただ、元気でいてくれるだけで嬉しい。心から愛している。今日も目を閉じ、心の中で子供達の名前を呼び、ひとりひとりの姿を思い浮かべる。愛する存在がいてくれるからこそ、僕は今日も慎ましく、一生懸命、自分の人生を生きられる。

今日もありがとう。愛してる。


松永 修 – MUSICおさむ

松永 修/音楽名義:MUSICおさむ(シンガーソングライター)/音楽と文章の作家/国家公務員/キャリアコンサルタント

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