日々のことば(ブログ)

✍️年金・介護だけじゃない、“孤独と尊厳”が突きつける高齢化の現実

おはよう。今日もいい天気。先日は少子化のことを書いたけれど、今日はその裏側にある「高齢化」を考えてみる。どうしても教科書のキーワードみたいに扱われて、右から左へ流してしまいがちだけど、これは僕ら自身に直結する現実だ。だからこそ、もっと具体的にイメージが湧くように、そして何かの提案に偏ることなく、現状やさまざまな立場の意見を中立的に整理して、わかりやすく伝えたい。みんなが自分ごととして受け止められて、少しでも興味を持てるように捉えてみたいと思う。

◾️2025年問題という現実

いま日本では「2025年問題」が目前に迫っている。団塊の世代が一斉に75歳以上となり、後期高齢者が一気に増える。すでに65歳以上は人口の3割近くに達し、世界の中でも突出した高齢化率だ。総人口は毎年90万人以上減り、出生数は70万人を切った。数字を並べれば危機的状況だけれど、これは単なる統計ではなく、僕らの生活と心に直結する問題だ。

例えば、地域の病院や介護施設は、今でも予約が取りづらいほど逼迫している。バスや電車に乗れば、座席の多くを高齢者が占める光景は当たり前になった。商店街では高齢者向けのサービスや宅配が広がる一方で、若い世代の姿は減り、子どもの声が聞こえにくくなっている。数字で語られる「2025年問題」とは、こうした日常の風景の延長線上にある。

そして担い手も減り、これまで当たり前に回っていた地域の組織や自治会も運営が難しくなり、学校の部活動や地域のお祭り、消防団や商店街の維持といった仕組みまで揺らぎはじめている。生活の支え、事業の継続、文化の継承──どれも「人」がいてこそ成り立っていたものが、少しずつ綻びている。2025年問題とは、数字の話ではなく、僕らの日常そのものが変わっていく現実を示している。

◾️日本の高齢化の歩み

日本は世界でも最速で高齢化した国だ。1960年代には高齢者は全人口のわずか5%台にすぎなかった。当時は高度経済成長の真っただ中で、若い労働力が社会を支え、街は子どもの声であふれていたことだろう。僕はまだその頃に生まれてはいなかったが、その時代の空気は資料や親の世代の話から伝わってくる。

それが1994年には14%を超え、「高齢社会」と呼ばれる節目を迎える。バブル崩壊後、社会の勢いが鈍り始めた時代に、静かに高齢化の波が広がっていった。そして今や30%近くに達し、少子化と重なって、人口構造そのものが逆転してしまった。

わずか数十年で日本は世界一の長寿国になったが、社会保障や地域の仕組み、文化的な受け皿はそのスピードに追いつかず、いまも制度疲労を起こしている。例えば年金制度は「支える人数が減り、支えられる人数が増える」構造的な矛盾を抱え、介護保険も財源不足と人手不足に直面している。かつて「老後は家族が支えるのが当たり前」とされた時代は過ぎ去り、核家族化や地域のつながりの希薄化で、老いの支え方そのものが根本から変わらざるを得なくなっている。

◾️世界の高齢化事情

高齢化は日本だけの特殊事情ではない。イタリアやドイツ、スペインなどヨーロッパ諸国ではすでに高齢化率が25%を超え、地域社会のあり方が大きく変わっている。介護や医療をどう支えるか、移民を受け入れて労働力を補うか、といった議論が日常的に行われている。

中国でも急速に高齢化が進んでおり、農村部では孤独死が社会問題となり、都市部では「一人っ子政策」の影響で“子ども一人が両親と祖父母を支える”という現実が重くのしかかっている。

一方、アフリカや南アジアの国々はまだ若い社会構造を保っている。だが平均寿命の延びと出生率の低下が重なれば、いずれ同じ道をたどることは避けられない。つまり日本はいま、世界がこれから直面する未来の姿を一足先に体現している国だ。

そして各国にはそれぞれの対応策がある。北欧は税負担を重くしてでも福祉を徹底し、アメリカは市場や民間保険に頼る傾向が強い。日本はその中間に位置し、制度と地域の力をどう両立させるかに苦心している。だからこそ、日本の経験を世界に共有する意味がある。単なる悲観的な未来予測ではなく、どうすれば高齢化と共に生きる社会を築けるのか──日本の課題はそのまま世界共通の問いになっていく。

◾️心理学的に見る老年期の課題

最近、キャリアコンサルタントの資格を取得した際に心理学や社会学的な様々な理論を大学受験ばりに猛勉強した。その中で学んだ知識を踏まえて高齢化を見つめ直すと、いくつもの重要な視点が浮かび上がってくる。

心理学者エリクソンは、老年期の発達課題を「自我の統合」と「絶望」のせめぎ合いだとした。人生を振り返って「よく生きた」と納得できれば、老年期には知恵という財産が宿る。しかし、後悔や喪失感ばかりが押し寄せれば、人は容易に絶望に沈んでしまう。

さらにハヴィガーストは、老年期の課題として「退職」「子育ての終わり」「身体的衰え」「配偶者との死別」といった現実に折り合いをつけ、新たな意味を見出すことが必要だと述べている。仕事や役割を失い、日常のリズムが変わることで“生きがいの空白”が生まれる。そこで趣味や地域活動、家族との関わりをどう再構築するかが、その人の心の支えになる。

実際、現代の高齢者はまさにこうした課題に直面している。退職後に「社会から必要とされない」と感じて塞ぎ込む人もいれば、新しい学びや地域活動に飛び込んで第二の人生を歩み出す人もいる。老年期の課題は、避けられない衰えを前に“どう意味づけを変えていくか”という挑戦そのものなんだ。

◾️社会老年学の視点

ノルウェーの老年学者トーンスタムは「老年超越理論」を唱えた。老いを単なる衰退ではなく、物質的な欲求や日常の競争から解放され、より精神的・宇宙的な次元へ移行していく過程だと捉える。

例えば日本の高齢者の中には、「孫や家族の幸せを祈ることが自分の生きがいになった」「自然と共に季節を感じて暮らす時間が一番心地よい」と語る人が少なくない。若い頃は“働くこと”“成功すること”に追われていたのが、老いの時間に入ってはじめて、そうした目に見えない価値に気づくことがある。

もちろん老いには喪失が伴う。体力の低下、役割の喪失、仲間との別れ…。けれどその一方で、若い頃には見えなかった“深まり”に触れる瞬間がある。人生を走り抜けてきた人だからこそ到達できる境地があるということだ。

現代の社会は“生産性”ばかりを重視しがちだけど、この老年超越の視点は、社会全体が見失ってきた「静けさ」「祈り」「つながり」の価値を思い出させてくれる。老いをどう捉えるかは、社会全体の心の成熟度を映す鏡でもあるのだ

◾️高齢者差別(エイジズム)の影

一方で、社会には「もう役に立たない人」として高齢者を一括りにしてしまう風潮もある。これがエイジズムと呼ばれる差別だ。年齢を理由に能力や価値を低く見積もり、まだ働ける人に「もう若い人に任せて」と退場を迫ったり、医療や介護の場面で本人の意思より「年齢で判断」が優先されてしまったりする。

例えば「高齢者はデジタルに弱い」と決めつけられ、使う機会すら奪われる。地域の会議で「年寄りは理解できないだろう」と発言を軽んじられる。こうした小さな場面の積み重ねが、人の尊厳を静かに削っていく。

個人的には、ここが一番声を大にして伝えたいところだ。高齢化社会に必要なのは、単に介護して延命することじゃない。むしろリスキリングの機会をつくり、高齢者がこれまでの人生で培ってきた経験や技能を活かせる場を広げていくことだと思う。国としても労働力の確保や知識・技術という財産の活用にもっと目を向けるべきだ。高齢者を「守られる存在」に閉じ込めるのではなく、「共に生きる力」として活かしていく。その視点があって初めて、高齢化は社会の重荷ではなく未来の資産になり得る。

◾️若者と高齢者、それぞれの声

若者に話を聞くと「年金はもうもらえないと思ってる」「高齢化は自分には遠い話だと思っていたけど、親を見ていると現実味を感じる」という声が返ってくる。進学や就職を控えた世代からすれば、制度の持続性への不安は将来設計そのものを揺さぶる問題だ。

一方で高齢者は「体より心がきつい」「必要とされないのが寂しい」と口にする。仕事や子育てという役割を終えた後、社会の中で自分の居場所が見えにくくなる。その喪失感が「孤独」という形で押し寄せてくる。

両者の言葉を並べてみると、この問題が制度や統計の数字だけで語れるものではなく、人と人のつながりに関わることだとはっきり見えてくる。若者の不安と高齢者の寂しさは別々の話ではなく、同じ社会の中で呼応している声だ。互いの言葉を重ね合わせてみることこそが、次の社会をどう築くかの出発点になるのだと僕は思う。

◾️これから高齢者になる僕ら世代へ

僕はいま44歳。両親はすでに高齢者だが、本当に問題になるのはこれからだ。僕が高齢者になり、そして僕の子どもたちが高齢者になった時の未来。そのとき、いまの延長線上にある社会では支えきれない課題が出てくるかもしれない。だからこそ若い世代に言いたい。高齢化は「遠い先の話」じゃない。必ず自分自身が当事者になる。

「高齢者を支えるのは負担だ」という言葉だけで終わらせてしまえば、そこにあるのは世代間の分断だ。でも「自分も必ずそっち側に行く」と思えば、その支えは未来の自分を守ることになる。親を支えることは、自分の老いを守る社会を築くことでもある。

そして、僕らの子どもたちが高齢者になる頃には、いま以上に人口構造は厳しくなっている。その未来を見据えて、今の若者が制度を変える主体となり、社会を形づくる担い手になっていく。高齢化の問題は「守るか守られるか」という二項対立ではなく、世代を超えて受け渡されるバトンのようなものだ。僕らがいま取り組むことは、そのバトンを少しでも軽くし、次の世代が走りやすい道をつくることにつながっている。

◾️結びに

高齢化は制度や統計の問題にとどまらない。人の心と尊厳にまつわるテーマだ。老いを“衰退”と見るか、“超越”と見るか。未来の自分と子どもたちのために、今から想像力を働かせて考えておく必要がある。

さて、今日もそんなことを考えながら、仕事も、生活も、音楽も、勉強も、しっかり頑張りたい。僕も毎日、一生懸命走っている。大切な家族も仲間たちも、それぞれが自分の人生を懸命に生きている。その姿を信じているし、その力を尊敬している。

同じ空の下で、心はいつも隣にある。愛してる。


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松永 修 – MUSICおさむ

松永 修/音楽名義:MUSICおさむ(シンガーソングライター)/音楽と文章の作家/国家公務員/キャリアコンサルタント

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