日々のことば(ブログ)

✍️「発達障害」という地図を持つということ―脳の特性と向き合う時代へ

おはよう。今日も天気がいい。今日は僕にとって特別な日。愛する家族の記念日だ。そして、今日は、例の無呼吸症候群の入院での精密検査の結果がわかる日でもある。

検査結果については、また明日のブログでも報告したいと思っている。

では、今日の話題は──僕がかねてから重要視している人の発達に関する話題について、しっかりと皆様にお伝えしたい。

■発達障害とは「脳の特性」である

ADHD(注意欠如・多動性障害)、SLD(限局性学習症/学習障害)、ALD(自閉スペクトラム症)──この言葉に、身構えたり、誤解したり、不安を覚える人は少なくないと思う。でも本質は、「脳のある機能に偏りがある」というだけの話だ。言い換えれば、得意と不得意の“配置”が少し違う脳──それが発達障害の正体だ。

僕は、自分自身のこと、我が子のこと、そして本業として人を支援する現場の中で、この分野に真剣に向き合ってきた。だからこそ、この言葉の“実感”を持っている。

発達障害とは、「成長が止まった状態」でも「人間としての欠陥」でもない。脳の発達のかたちが、ほんの少し違うだけ──ただそれだけのことなのだ。

■「程度のグラデーション」と「自己理解の深さ」

診断があるかどうか、手帳があるかないか──そんな線引きは、あくまで制度的なものでしかない。むしろ、診断がつかないグレーゾーンの生きづらさこそ、社会にはたくさんあふれている。僕のまわりにも、そうした「説明のつかない苦しみ」を抱えながら、毎日を耐えている人が多くいる。

発達障害の特性は、誰の中にも“少しずつ”あると言われる。問題なのは「あるかないか」じゃない。それをどれだけ自分で理解し、どう付き合っていけるか──その自己理解の深さが、人生の歩きやすさを左右する。

支援の現場でも、診断名以上に、本人の“納得”と“理解”こそが希望への第一歩になる瞬間を、何度も見てきた。

■正しい知識と、誤ったラベリングの危うさ

「落ち着きがないからADHDなんじゃない?」「空気読めないのってASDでしょ」──そうやって、表面的な特性だけでラベルを貼るのはとても危険だ。

脳の中では、前頭前野、小脳、扁桃体などが絶妙なバランスで働いている。発達障害の特性は、そうした脳の情報処理の違いから生まれるもの。決して「怠けている」わけでも「我慢ができない性格」なわけでもない。

僕は、支援者としても、親としても、そして一人の当事者としても、こうした“ラベル”の暴力に何度も出会ってきた。だからこそ言いたい。診断とは、本人を責めるためのものじゃない。本人と向き合い、理解を深めるための“ツール”であるべきだと。

■正体が見えないと、人は他に頼りたくなる

人は、自分の生きづらさに理由がわからないままだと、どうしても何かにすがりたくなる。「もしかして前世の因果?」「星回りが悪い?」「血液型のせいかも?」──そんな風に、“答え”を外に探してしまうことは、決して珍しくない。

僕はスピリチュアルを否定するつもりはない。むしろ、人生に意味や希望を与えてくれる素晴らしい道でもあると思う。だけど、その前にひとつだけ言わせてほしい。科学としての「脳の特性」に光を当てることが、あなたの人生の主導権を取り戻す近道になるかもしれない、ということを。

「なぜこうなるのか」がわかれば、戦い方を変えられる。その“答え合わせ”は、人生の重荷を少し軽くしてくれる。

■脳は変化し続ける──「宿命」じゃない

脳科学では「神経可塑性」という言葉がある。脳は、経験・学習・環境の影響で、年齢を重ねても構造も働きも変わることがわかっている。

できなかったことが、ある時期から自然とできるようになることもある。その逆もある。つまり、発達障害は「人生を縛る固定ラベル」ではないということだ。

僕自身、自分の脳のクセや反応パターンを少しずつ知りながら、今でも更新し続けている感覚がある。それはときに痛みを伴うけど、確実に生きやすさを増していると感じている。

■自己理解は、他者理解の出発点

「自分を理解されたい」──それは誰もが持つ根源的な願いだと思う。でも、その前に大事なのは「自分が自分を理解しているかどうか」。

僕は、自分の子どもたちと過ごす時間の中で、このことを何度も教えられてきた。発達の特性を持つ我が子を理解しようとしたとき、自分の中にも同じような“偏り”があることに気づく。そして、気づいたとき、人は他人に優しくなれる。

自分の苦しみを知っている人だけが、他人の痛みを想像できる。これは支援だけでなく、教育、恋愛、職場、家族──どんな関係にも通じる“力”になる。

■脳特性は「自分を知るためのツール」

発達障害は「他人を区別するための診断」ではなく、「自分を知るための地図」だと思っている。

自分はどんな環境に向いているか。どんな場面で疲れやすいか。何にストレスを感じるか。こうしたことに気づくことで、間違った努力や無理な適応から自分を守ることができる。

「苦手」や「不器用さ」を知ることは、自分を甘やかすことじゃない。自分を大切に扱うことができるようになるための第一歩なんだ。

■正しく学ぶ時代になった

時代は、ゆっくりだけど確実に変わってきている。30年前には誰も知らなかった「発達障害」という言葉が、今では学校や職場、行政の中で当たり前のように語られるようになった。制度も、支援も、少しずつ整ってきた。

僕は本業の中でも、家庭の中でも、この変化を肌で感じている。そして、これからもっと多くの人が、「自分を正しく理解する」という希望に出会える社会をつくっていきたいと願っている。

今からでも、決して遅くない。今、気づけたあなたは、もうすでに一歩前に進んでいる。

■生きやすさのその先へ

人は皆、どこかに“偏り”を持っている。そして、それを恥じる必要なんてどこにもない。それは個性だ。ただ人に迷惑かける可能性があるところは対処していかないと自分も周りも生きずらくなる。そのまま、周りは気づいているのに自分だけ自覚できずに、最期を迎える人も多い。まさにジョハリの窓でいう“盲点”のまま──それはとても静かで、深い悲しみだと思う。

むしろ、早めに自分の特性に気づき、認めて、支え合って生きていくことができたら、それはとても豊かな生き方だと思う。

今日も一日が始まる。離れていても、家族は同じ空でつながっている。深く、太く、赤い絆で結ばれている。愛している。今日も。いつもありがとう。バイバイ。


松永 修 – MUSICおさむ

松永 修|MUSICおさむ|国家公務員|キャリコン|作家・メディアクリエイター/音楽クリエイター(シンガーソングライター)|DTM作編曲

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