日々のことば(ブログ)

✍️父と子のあいだに流れるもの──父と子の心の連鎖

おはよう。
先日、父と久しぶりに電話で話した。特に理由はなかった。ただ、声が聞きたかっただけだ。76歳になる父は驚くほど元気で、生き生きとした声をしていた。「元気そうだな」その言葉だけで胸が温かくなった。

父は毎日YouTubeを投稿しているという。僕のブログと同じだ。画面を通して誰かに思いを伝えたい。生きている証を残したい。そんな衝動は、人間の根源にある“生存確認の愛”みたいなものだ。

そして、僕も父も、きっと同じことを思っている。見てほしい。理解してほしい。でも、無理に分かってもらわなくてもいい。ただ、「生きていること」を感じ合いたいだけなのだ。


◾️親として、子として、生きることの循環
僕は今、父として生きながら、同時に“誰かの子ども”でもある。その二つの立場を行き来するうちに、人は一生のうちに、立場を変えながら同じ学びを繰り返す。

愛すること。許すこと。見守ること。すべては、子として受け取ったものを、親として渡し直す営みだ。

この世の中は、経験のリレーだ。父から僕へ、僕から子どもたちへ。そしてまた、その先の誰かへ。愛情も言葉も、時間をかけて姿を変えながら渡されていく。

「人は他者を通して、自分を学ぶ」。ユングが言うように、親の姿の中に自分を見つけ、子どもの姿の中に過去の自分を見つける。だからこそ、どんな関係も鏡のようだ。愛され方を知るほど、人は愛し方を覚える。


◾️距離の中にある優しさ
父のことを思うとき、胸の奥に静かなあたたかさが広がる。
それは、言葉にしなくても通じ合えるような、やわらかなつながりだ。

人と人のあいだには、“優しい距離”があると思う。
近すぎると息が詰まり、遠すぎると寂しくなる。だからこそ、ちょうどいい“間”がある。

そして、その間にこそ愛が宿る。
愛とは、いつも真ん中にある。
伝えようとする人と、受け取ろうとする人のあいだに。
沈黙の中にも、まなざしの中にも、それは息づいている。


◾️伝わらなくても、届いている
父は僕に「人生調子がいい時も、慢心するな。気を抜くなよ」と言った。僕は子どもたちに「自分を大切にしてね」と言う。どちらも同じだ。言葉は違っても、根っこは“願い”だ。

どんなに言葉がすれ違っても、想いは必ず残る。目に見えなくても、心の奥に沈殿していく。それが、愛の不思議なところだ。

愛は“理解”ではなく、“感じるもの”なのだろう。
共感的理解とは、相手の心の世界を変えようとせず、そのまま受け止めようとすること。
父も僕も、子どもたちも、いまその呼吸の中で、静かに通じ合っている。


◾️本当は、見てほしい
父も僕も、本当のところ一番見てほしいのは、やっぱり“子どもたち”なんだと思う。
愛する存在に見てほしい。生きている姿を感じてほしい。

けれど、肝心の子どもたちは実際には見てくれない。あまり気にかけてくれない。
その現実を少し寂しく思いながらも──いや、それが実は正常で、健全で、最高なんだと、受け止めていく。

だからこそ、たまたま誰かが見てくれて、共感してくれたらそれでいい。
そもそも、それをやることで自分が充実して、生き甲斐を感じられるのなら、それで十分だと思う。

けれど、“本当は見てほしい”という小さな願いが心の奥にある限り、人は優しくなれる。
その願いは押しつけではなく、思いやりの形をしている。
そしていつのまにか、それがその人の人格を包み込む“ぬくもり”になる。

「伝えたい」と「押しつけない」のあいだに、人の成熟がある。
「願い」を手放せたとき、愛は静かに香る。


◾️父の心を思う
もし父が、今日のこのブログを見てくれたとしたら──それだけで、きっと嬉しいだろう。
内容の正確さなんてどうでもいい。少し本人の気持ちとずれていようが、違っていようが、ここまで考えている息子がいること自体が、父にとっては何よりの喜びだと思う。

僕がもし父の立場なら、息子がこんなことを考えていると知っただけで、「生きていてよかった」と思う。
たとえ明日この世を去るとしても、それで十分だと感じるほどの幸福だろう。

親という存在は、そういうものだ。
子どもが幸せであれば、それでいい。それ以外は何もいらない。
自分のことよりも、どんなことがあっても、子どもが笑っていてくれたら、それでいい。
確かに、自分のことも気にかけてほしいが──最後はそれしかない。

それが、愛という名の形なんだろう。
そして、僕もまったく同じだ。
どんな時も、子どもたちの幸せを願っている。


◾️世代を超えて受け継がれる学び
人生は螺旋のように進む。同じ場所を回っているようで、確実に少しずつ上に登っている。
親として気づいたことは、かつての“子どもとしての自分”を癒し、子としての記憶は、今の“親としての自分”を優しくする。

「愛されていた」と気づく日が来て、そして「愛している」と気づく日が来る。
その二つの気づきが重なったとき、人は“親であること”の意味を静かに悟るのだと思う。

だから僕は信じている。
見えないところで、すべては繋がっている。
父も僕も、子どもたちも、同じ連鎖の中で生きている。
愛は血ではなく、意志のバトンだ。


◾️同じ空の下で
今日は三連休の真ん中。僕は昨日からキャンプに来ている。
昨夜は星空の中で眠った。澄んだ空、笑い声、そして小さな焚き火の音。
近くにいる家族も、遠く離れて過ごす家族も、それぞれの場所で何かに夢中になっているだろう。

それぞれが、それぞれの場所で生きている。
それでいい。信じている。誇りに思う。愛している。

人生は「過去」「現在」「未来」という時間の帯の中で連続しているけれど、
心は、いつだって同じ空の下にある。

今日も、そんな思いで生きていこう。


松永 修 – MUSICおさむ

松永 修/音楽名義:MUSICおさむ(シンガーソングライター)/音楽と文章の作家/国家公務員/キャリアコンサルタント

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