日々のことば(ブログ)

✍️人間関係が急にややこしくなる理由──「間に入る人」で起きる三者構造を一発でほどく方法

おはよう。年末の空気が、少しずつ街にも心にも漂ってきたね。仕事も家庭も慌ただしい。だけど、こういう時期だからこそ、立ち止まって「人間関係の仕組み」を整理しておきたくなる。

さて今日は、人間関係の中でとても起きやすく、それでいて見落とされがちな構造の話をする。
結論を先に言う。

三者構造(A–Bの間にCが立つ)がこじれたら、最短の正解はたいてい一つ。
当事者同士で、直接、意思を確認すること。

感情をぶつけるためじゃない。正しさを証明するためでもない。
ただ「今どう思っているか」「何が必要か」を静かに確かめ合う。
これだけで、絡まった糸はほどけ始める。


◾️誰かが「間に入ってしまう」関係は、なぜ生まれるのか

AさんとBさんの間に、Cさんが入る。
この三者構造は、驚くほど多くの場面に登場する。

・親子と兄弟
・上司と部下
・取引先と現場
・友人同士
・チームや組織

まず整理すると、この三者には役割がある。

・依頼する側(当事者A)
・受ける側(当事者B)
・間に入る側(C)

ここで大切なのは、Cが入る理由はたいてい悪意ではないということ。むしろ多いのは、頼られやすい、話を聞いてしまう、責任感が強い、放っておけない、自分が何とかしなきゃと思ってしまう、という性格や立場だ。本人に自覚がないことも少なくない。


◾️問題は「間に入ること」ではない

誤解されやすい点がある。
問題なのは、間に入る人がいることそのものではない。

本当の問題は、責任・感情・判断がねじれたまま受け渡されることだ。

・誰の依頼なのか分からない
・どのくらいの緊急度なのか分からない
・誰が最終判断を持つのか分からない
・断る責任だけが別の人に回ってくる

この状態が続くと、頼まれる側は疲弊し、間に入る人は消耗し、当事者は状況を正確に把握できなくなる。誰も悪くないのに、関係だけが少しずつ壊れていく。


◾️「裏面的交流」に気づかないまま、善意がすれ違う

三者構造は、心理的に「裏面的交流」になりやすい。
 ※裏面的交流については、過去の記事で詳しく述べているので興味ある人は参考にしてください。
 ✍️無意識に仕掛けて、無意識に巻き込まれる。人間関係に潜む“心理ゲーム”の正体

表では穏やかでも、裏では、分かってほしい、気づいてほしい、誰かが動いてくれるだろう、という期待が言葉にならないまま流れている。厄介なのは、本人にその自覚がほとんどないことだ。だから責めても解決しない。


◾️「間に入る人」が必ずしも被害者とは限らない

ここまで読むと、間に入る人=善意で疲れている人、という印象を持つかもしれない。
でも現実はもっと複雑だ。

逆のパターンも確かにある。

・間に入った人だけが情報を握る
・両者の意図を編集して伝える
・当事者同士が直接話せなくなる
・その人を通さないと関係が進まなくなる

こうなると、間に入った人が無意識に両側をコントロールする構造が生まれる。悪意がある場合もあれば、本人が気づかないまま起きていることも多い。


◾️人間関係が「ゲーム」になってしまう瞬間

さらに厄介なのは、三者構造が心理的なゲームに変わるケースだ。

・自分がいないと回らない
・頼られている実感が欲しい
・仲裁役でいたい
・判断を下す立場に立ちたい

こうした欲求は、誰の中にもある。
そして多くの場合、それは善意・心配・責任感と混ざり合い、本人の中で整理されないまま動いてしまう。この混在が、関係をこじらせる。


◾️一つのパターンに当てはめないことが大切

だから、ここで一番やってはいけないのは、単純な決めつけだ。

この人は善意だ。
この人は支配的だ。
この人は悪い。

現実には、キャパオーバーで助けを求めている、無自覚に間に入り続けてしまう、一部にコントロール欲求もある、それでも本当に追い詰められている……そういう状態が一人の中に同時に存在していることがほとんどだ。

人を裁く方向に行くと、必ずズレる。
見るべきは性格じゃなく、構造だ。


◾️それでも結論は、いつも同じ場所に戻る

ここまで複雑な話をしてきた。
でも結論はやっぱりシンプルだ。

当事者同士で、直接、意思を確認すること。

間に入った人の話を聞いていると、どんな意図で、どんな温度で、どこまでが“依頼”でどこまでが“共有”なのかが分かりづらくなることがある。けれど、当事者に直接話してみると、驚くほど多くのケースでこうなる。

「あ、そういうことね」
「なんだ、そんなことか」
「じゃあこうしよう」

一瞬ですっきり解決することが多い。

やっぱり、又聞きになると急にややこしくなる。情報が編集され、感情が上乗せされ、責任の所在が曖昧になる。結果、必要以上に複雑に見えてしまう。でも、当事者同士で話すと、必要な情報は必要なだけで揃って、物事は驚くほどシンプルに前へ進む。人間関係って、結局そういうものだ。

ここで言う「直接」は、間に入った人を飛ばす行為じゃない。誰かを否定するためでもない。そもそも当事者同士の出来事なんだから、当事者同士で確かめ合う。それだけの話だ。

面倒くさがらずに、こういう時ほど直接聞く。これを習慣にすると、悩みやタスクは最短で片づきやすくなる。裏面的交流も起きにくい。当事者同士の関係も良くなる。強いて言えば、間に入った人の負担も減るし、もしそこに恣意的な編集やコントロールが混ざっていたとしても、その影響を最小化できる。

だからこそ、ここに戻る。
当事者に戻って、本人の言葉で確かめる。


◾️「間に入る」こと自体が悪なのではない

間に入ること自体が悪なのではない。必要な場面も確かにある。
問題になるのは、役割が固定されること、情報が偏ること、判断責任が曖昧になること、当事者が直接話さなくなること。この兆候に気づけるかどうかだ。


◾️迷った時のチェックリスト

最後に、明日から使える形で残しておく。
迷った時に確認することは、たった一つ。

当事者に当たって、確かめたか。

これをやらないまま、間に入った人とやり取りを重ねても、ほぼ意味がない。緊急度だの期限だの、間に入った人の意図だの、善意なのかゲームなのか、キャパオーバーなのか支配なのか──そういう分析に入った時点で、もう負担が増えていく。情報は編集され、感情が混ざり、正論のぶつけ合いになりやすい。誰も得しない。

間に入った人を責めるのも無駄だ。正しさで殴るのも無駄だ。間に入った人には仲介の事情がある。未熟さもあれば善意もあるし、無自覚もあればコントロールも混ざることがある。けれど、その中身を解剖しても、状況は前に進みにくい。

だから、やることは一つ。
本人に当たって、事実を確かめる。

それだけで、余計な誤解も、裏面的交流も、無駄なタスクも、まとめて消えていく。
迷ったら、当事者に戻る。
それが一番早くて、一番静かで、一番誰も傷つけない。


さあ、今日もこんなふうに。
目の前のモヤモヤを、感情のまま処理するのではなく、人間関係の構造として眺めてみてほしい。そうすれば、あなた自身が楽になるだけでなく、周りをスムーズに支える存在にもなれる。

あなたも、あなたの周りの人も、それぞれが一生懸命、生きている。
限りある命を、できるだけ豊かに、穏やかに使っていくために。

今日も、愛と感謝を胸に。
それでは、また。


松永 修 – MUSICおさむ

松永 修/音楽名義:MUSICおさむ(シンガーソングライター)/音楽と文章の作家/国家公務員/キャリアコンサルタント

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