日々のことば(ブログ)

✍️表現者の心得──音楽とキャリア支援、その本質は同じだった

おはよう。

雨上がりの朝。じっとりとした湿気の中、河川敷に生い茂る草たちの力強さに、ふとエネルギーをもらった気がする。

そんな季節のうつろいの中、僕の中に強く浮かんできたのは、「表現するということ」についての気づきだった。

歌うときも、演奏するときも、そしてキャリアカウンセリングで相談者と向き合うときも——根底に流れているものは、実は同じだ。

普段の準備では、理論を学び、技術を磨き、プロセスを何度も繰り返し練習する。だけど本番になれば、そんな知識やスキルを思い出している余裕なんてない。目の前には、わざわざ時間とお金を使って、僕のところに来てくれた「人」がいる。その「今」に全身全霊で、「その人の心」と向き合えるかどうか。それだけが問われている。

もし、頭の中で自分のメソッドや正解を思い出しながら「うまくやろう」としていたら——その時点で意識は自分の脳の内側に閉じていて、相手は置き去りだ。だからこそ、普段から何度も訓練を重ねる。無意識でも自然に出せるように、身体に沁み込ませる。その努力の蓄積だけが、本番で「相手のためにだけ集中する自分」を支えてくれる。

本番では、細かいテクニックやプロセスをいちいち思い出すことはしない。普段の訓練や準備を信じて、「自分はもうできている」と思って臨む。そうやって、意識のすべてを目の前の人に向ける。それが基本だ。でも、もしもふと「何か少しうまくいってないかも」と感じたら——そのときは、過去に自分が整理してきた大切な視点や留意点を、そっと思い出す。そして、必要な部分だけをリアルタイムで微調整する。それに留めて、すぐにまた相手に意識を戻す。

あくまでも主役は目の前の相手であり、こちらの思考やメソッドではない。よくあるガチガチのステージング——歌詞を思い出そうとし、ギターの指を必死に追い、喉の開きを意識しすぎて不自然になる。あれは完全に自分の頭の中に意識が閉じている状態だ。カウンセリングでも同じ。相談者の話が耳に入っていないまま、自分のスキルや応答テクニックばかりに集中してしまい、結果として論点がぼやけ、関係性も崩れていく。そんなふうにはなりたくない。

だからこそ、事前の準備や訓練が大切なんだ。本番で余計なことを考えず、自然に“向き合うこと”だけに集中するために。

そして、もう一つ大切なことがある。それは、「主役は常に相手である」という視点だ。歌でも、カウンセリングでも、僕たちは決して主役ではない。相手の感情や思考を呼び起こし、内面の声に気づいてもらうための“伴奏者”“伴走者”にすぎない。

導きすぎてはいけない。こちらが主導権を握れば握るほど、相手の心には届かなくなる。リスナーや相談者の叫びを受け止め、整理し、確認し、さらに内省を促すように問いかける。相手のペースに合わせ、先走らず、共に歩く伴奏者のように、相手自身が「内省」し、自己探索していける場をつくる。

これこそが、真のプロフェッショナルが果たすべき関わり方だと思う。

そんなふうに、音楽もカウンセリングも同じ側面がある。

メロディーや歌詞を自分の中から生み出していく過程でも、「問いかけるような音楽」にしていきたい。ただ届けるのではなく、聴く人の中にある思いをそっと引き出すような音。聴く人が自分の感情と出会い、何かに気づくきっかけとなるような音楽。

相手の主体性を尊重するような支援。言葉。音。関わり。

伴走者であり、伴奏者だ。

ナビゲーターではない。この根底の意識の差が、まるで180度違う相互関係の結果を生む。

カウンセリングを学びながら、僕は逆に音楽における自分の在り方にも、深い気づきを得た。すべてはつながっている。

そして、その中心にあるのは「相手を大切にすること」。そこから逃げないこと。

さぁ、一日が始まる。仕事では今日、遠方への出張だ。雨上がりの路面が濡れているので、運転には気をつけたい。

曇っていても、僕の心の中の空は晴れている。この土日、家族と過ごしたあたたかな時間が、僕の中のエネルギーになっている。

家族みんなが、それぞれの場所で、また新しい一日を胸いっぱいに過ごしている。そのことが、ただただ嬉しい。

愛してる。


松永 修 – MUSICおさむ

松永 修/音楽名義:MUSICおさむ(シンガーソングライター)/音楽と文章の作家/国家公務員/キャリアコンサルタント

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