日々のことば(ブログ)

✍️それはドラマじゃない──扇動と憧れに飲まれないためのリーダーの選び方。参政党・神谷宗幣代表の演説から見える、SNS時代の政治感情

おはよう。今日は平日だけど、僕は今日と明日、有給休暇をとって大型連休にしている。いわゆる“夏季休暇”みたいなもの。みんなが働いている平日に、静かな朝を過ごせるのは、なんとも言えず嬉しい気分だ。

さて、昨日は次期総理大臣候補について少し書いたけれど、今日もまた、“政治”にまつわる話を少しだけ。といっても、誰かを支持する話でも、誰かを批判する話でもない。

僕が今日書きたかったのは、「リーダーをどう選ぶか」という、もっと根っこの部分のこと。特に、演説や発信の“うまさ”に心を動かされて、思考が止まってしまうような──そんな危うさについて、今のうちに言葉にしておきたかった。

しばらく政治がつまらない、停滞していると感じているときこそ、人は「ドラマチックな演出」に惹かれやすい。そして気づかぬうちに、本質よりも“エンタメ性”でリーダーを選んでしまうことがある。それが、SNS時代の政治感情の怖さでもあり、時に希望でもある。

参政党・神谷宗幣代表の熱い演説、小泉進次郎さんのような一言で空気を変える力──ああした現象は、単なる政治ニュースではない。僕たち国民一人ひとりの「感じ方」が投影された、時代そのものの鏡なんだと思う。

◾️演説動画に心を奪われた昨日の自分

昨日、何気なくYouTubeやInstagram、TikTokなどのショート動画を眺めていたら、参政党の神谷宗幣代表の演説が次々と流れてきた。止めることができず、気づけば連続で見入っていた。

言葉に熱があり、表情に力がある。「この人は本気で日本を変えようとしている」──そう感じさせるエネルギーが、画面越しにも強く伝わってくる。多くの人がそう思うだろうし、実際に心を動かされる人も多いはずだ。

…でも、その瞬間、自分自身にハッとした。

「ああ、人間って、こうやって“心を奪われてしまう”んだな」
「今、僕は“言葉”ではなく“空気”に飲まれかけている」

この時、僕はまさに受動的な状態だった。
そして、ここにこそ危うさがある。
よほど冷静でいないと、人は“言葉”ではなく“演出”に心を明け渡してしまう。

これは神谷代表の演説の巧みさがどうこうという話ではない。
むしろ、人間の脳そのものが持つ“普遍的な特性”──
つまり、一定の話し方、表情、テンポ、言葉の繰り返しによって、無意識のうちに「共感」や「信頼」を感じさせる構造が存在しているということ。
そしてそれは、個人の判断を飛び越えて、集団としての感情・意思決定にまで波及する。
気づかぬうちに、僕らは「誰かを好きになり」「共鳴し」「支持する」ように、導かれてしまっているのかもしれない。

──これが、もしドラマや小説、舞台や映画といった“エンタメ”なら、それでいい。
趣味としてハマればいいし、ファンになればいい。
でも、政治は違う。リーダーは違う。
自分の未来を、そして子どもたちの未来を決める場面で、雰囲気や憧れだけで“選ぶ”ことだけは、どうか避けてほしい。

◾️小泉進次郎さんも、同じ構造の中にいる

これは神谷代表だけに限った話じゃない。たとえば、小泉進次郎さんのように、わかりやすく、明快な言葉で語る政治家。あるいは、Twitterでの発信で若者に支持される河野太郎さん。さらには少し種類が違うけれど、奈良で議員になった“へずまりゅう”のような存在もそうだ。

共通しているのは、「むずかしいことはよく分からないけど、この人なら楽しそう」「身近に感じる」「SNSでよく見るから安心感がある」といった、“空気”や“ノリ”で政治とつながっていく構造にある。

特に若い世代にとっては、「政治を身近に感じられる存在」として人気が出るのは、ある意味では自然な流れでもある。でも、政治というのは、“面白い”“カジュアル”“わかりやすい”だけで判断できるものではない。国家の進路や制度、暮らしや命にかかわる選択を預ける対象である以上、そこには“熱狂”ではなく“冷静な検討”が求められるはずだ。

国民の中には、「人気がある人」「話が面白い人」「この人がリーダーなら毎日が楽しそう」といった感覚でリーダーを選んでしまう傾向があるのも事実だ。それ自体を全否定するつもりはない。実際に「やってみなければ分からない」こともあるし、そこから学び、気づきを得ることだってある。

だからこそ、何度でも言いたい。「楽しそうだから」「言い方が好きだから」「SNSでよく見るから」──そうした理由で“未来”を選んでいるわけじゃない、と多くの人は言うだろう。「中身を見てる」「政策をちゃんと理解してる」と思っている人も多い。

だけど、それは本当に“自分自身で掘り下げて考えた結果”だろうか?それとも、誰かが語った言葉をそのまま借りて、「そうだよね」と頷いたままになっていないか?本当にその政策が良いと思ったなら──その理由は、自分の中にあるか?根拠は、誰かの動画や記事の中ではなく、自分の生活や価値観、未来像の中にあるか?

たとえ同じ結論にたどり着くとしても、自分で一度、ちゃんと考え直してみること。それだけは、絶対に手放してはいけないと思う。

雰囲気で選ばない。情報に包まれない。まるめこまれない。自分の未来は、自分の頭で決める。

◾️これはドラマじゃない。ファンクラブでもない

ここ大事だからもう一度言う。
SNSで拡散される演説や、連続で流れてくるショート動画。
そこには“熱”があり、“希望”がある。思わず引き込まれてしまう。
でも、僕たちはそれを“ドラマ・エンタメ”として見てはいけない。
これは現実だ。これは、人生の一部であり、未来を左右する“選択”なのだ。

「誰がいい」「この政策は間違ってる」──そんな断定を今ここで語るつもりはない。
ただ、何度も、どうしても伝えておきたい。

それは、「まずは自分で考えてほしい」ということ。

何が正しいかを言い切るのではなく、何を正しいと信じるかを、自分で選び取る力を持ってほしい。
そのために、考える。疑う。確かめる。

それこそが、僕たちが民主主義の中で生きるということだと思う。

◾️集団感情に流されないために──入力を一旦止めてみる

ここで本当に気をつけたいのは、「一人ひとりの感情」じゃない。「集団全体の感情」だ。盛り上がってる空気、賛同の拍手、SNS上の“いいね”の数──そういった雰囲気に包まれていると、自分でも気づかないうちに、判断がゆがんでしまう。

誰だって、空気に流される。僕もそうだった。だからこそ、一度、情報の“入力”を止めてみる勇気が大切だと思う。

「本当にそうかな?」「その根拠、どこにあるんだろう?」「他の立場の人は、何て言ってる?」──そんなふうに、ほんの少しだけ立ち止まってみる。そして、自分でちゃんと考える時間をつくる。それが、自分の人生を他人に委ねないための、最初の一歩になる。

◾️まとめ──時代の波に乗るが、呑まれず、賢明に生きる

さて、今日も、こんなふうに情報の波に飲まれないようにしながら、マクロの視点で時代を捉え、ミクロの視点で自分の生活に落とし込み、何ができるのかを一生懸命に考えていきたい。

自分の人生を、他人任せにしない。でも、人と協力する。そして、自分自身や、愛する家族、子どもたちのために、よりよく生きる。

限られた残り数十年の命を、時代の波にしなやかに乗りながらも、決して呑まれずに、しっかり握りしめて、噛み締めて、遊び尽くす。

さあ、今日も、愛する人たちと、同じ空の下で生きていく。目を瞑れば、心は隣にいる。僕らはいつだって一人じゃない。

僕は家族を、心から愛してる。生きがいだ。
今日もありがとう。


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松永 修 – MUSICおさむ

松永 修/音楽名義:MUSICおさむ(シンガーソングライター)/音楽と文章の作家/国家公務員/キャリアコンサルタント

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