まだもちろん、寂しさは癒えない。
気づけば24時間、今もふとした瞬間ごとに、みゅうちゃんのことを考えている。
でも明らかに、最初の頃とは違う。
ネガティブな悲しみや後悔だけじゃなく、今は、感謝や誇りの気持ちに、少しずつ満ち始めている。
昨日、「みゅうちゃんは無念ではなかった」「かわいそうでもなかった」と、ようやく心の底から言い切れるようになった。
そして「この別れは、悲しみではなく、自慢と誇りに変わった」と思えるようになった。
それは、この5日間の中で得た、最大の気づきだった。
ただ、そこに至るまでには、やはりたくさんの「記憶」や「後悔」と向き合わなければならなかった。
そして今日の朝、あらためて自分の中に残っていた「かわいそうだったかもしれない記憶」を一つひとつ丁寧に思い出し、
それは本当にかわいそうだったのか?と、冷静にふり返ってみた。
たしかに過去には、思い出すと胸が苦しくなるような出来事があった。
旅行中に一人で留守番をさせたこと。
水を入れ忘れたまま数日家を空けてしまったこと。
車での移動中にゲージの中でパニックを起こし、目に傷を負わせてしまったこと。
僕の肩からの落下。
冬の寒さに耐えさせてしまった日々──
どれも、今思えば「もっとこうしてあげられたかもしれない」と感じる記憶だ。
でも、今日気づいた。
みゅうちゃんは、そんな過去もすべて含めて、
それでも「今の自分」を肯定して、生きていたのではないか。
彼女は常に、自分の置かれた環境の中で、「今ある幸せ」を見つけようとしていた。
ロジャースの言う「実現傾向」──生きものが自らの状況の中で最善の方向に進もうとする力。
みゅうちゃんには、その力があった。
どんなに目が見えなくなっても、足腰が弱っても、首が曲がっても、
彼女は自分でバランスを取り、工夫し、ごはんを楽しみにし、声を聞き、触れ合いを喜び、
笑顔のような表情を見せていた。
そして今日、あらためて強く思ったのは、
──「かわいそうだったかもしれない」と思ってしまうこと自体が、
彼女の人生を否定することにつながるかもしれない、ということだった。
特にそれを、みゅうちゃんが一番大好きだった僕が思ってしまったとしたら。
それこそが、みゅうちゃんにとって一番「かわいそう」なことだったのではないか。
僕は、彼女を世界で一番知っている人間だった。
一番愛して、一番そばにいた存在だった。
だからこそ、僕だけは「君は幸せだったよね」って、心から信じてあげなきゃいけない。
それができなければ、彼女の存在を否定してしまうことになる。
たしかに「かわいそうだったかもしれない」と思う記憶はあった。
けれど、それは過去の一部であって、全体ではない。
全体として──みゅうちゃんの人生は、特別で、豊かで、幸せだった。
彼女が自分の意思で、毎日を生き抜いてくれたから。
そしてそれを、誰よりも近くで見てきた僕が、「幸せだったね」と、心の底から理解してあげられる今、
ようやく胸を張って、誇りとして見送れるのだと思う。
そして今日は、そんな思いを胸に、ある特別な場所へ向かった。
2年半ほど前に子どもたちと一緒に訪れた、静かな飛行場。
あのとき交わした“命”の会話を思い出しながら、サイクリングの風の中で、空に向かって何度も呼びかけた──
「みゅうちゃん、卒業おめでとう」「ありがとう」「楽しかったね」「会いたいよ」って。
その日交わした、「死んだら無になるから痛くない、つらくない」という言葉が、今の僕の支えになっている。
そして、今日また子どもたちを乗せて自転車をこぎながら、思い出した。
かつては別のかたちで家族と走ったこの道。
時間の流れとともに生活が変わり、一人で静かに過ごした時期もあった。
そのなかで、唯一ずっとそばにいてくれたのが、みゅうちゃんだった。
今また別のかたちで子どもたちと笑いながら同じ道を走れること。
それを見守ってくれていたのも、みゅうちゃんだった。
みゅうちゃんは、僕の人生の“すべての家族”を繋いできてくれた存在だった。
静けさの中で寄り添い、にぎやかさの中で見守り、過去と現在をずっとつないでいてくれた。
まさに、家族を結ぶ“架け橋”であり、僕の“パートナー”だった。
悲しみの5日目ではなく、誇りと信頼の5日目にできて、本当によかった。
ありがとう、みゅうちゃん。
君は僕の誇りで、そして生涯、僕の中で生き続ける存在だよ。
今朝も「みゅうちゃん。おはよう」と、お墓の前で、この話しをすべて語りかけた。僕たちは、あの日のカケラの続きを、話し続けよう。
愛してる。