みゅうちゃんが旅立って、今日で6日目の朝を迎えた。たった6日。だけど、僕にとっては1年にも感じられるような、濃密で深い日々だった。
この6日間、毎日濃密なブログを綴ってきた。ただの記録じゃない。思考の軌跡であり、涙の跡であり、僕なりの祈りだった。
今朝ふと思ったんだ。この6日間で辿ってきた心の軌跡は、もしかしたら一人の人間が“死”と真正面から向き合い、“乗り越える”までの一連のプロセスとして、とても貴重な道のりだったんじゃないかって。
最初はただ、ショックと混乱の中で始まった1日目。2日目、3日目と進むうちに、「かわいそうだったんじゃないか」「後悔ばかりだ」と心が揺れ続け、4日目にようやく、「無念ではなかった」と初めて涙の中で言葉にできた。そして5日目には、「かわいそうだったかもしれない」と思うこと自体が、彼女にとって一番かわいそうなことだったんじゃないか──そう気づけた。その気づきとともに、心は確かに前に進んだ。
そして今日、6日目の朝。心に広がるのは、悲しみではなく、静かな光だった。
昨日は、初めてみゅうちゃんがいない週末を迎えた。土日は、いつもと違って一緒に過ごす時間が多かった。朝昼晩、一緒にご飯を食べていた。だからこそ、昨日の朝はとても寂しかった。
いつもなら、僕が食べる前に、ミューちゃんに口移しするように、食べやすい大きさにしてからあげていた。昨日も今日も、ご飯を食べる前にその癖が抜けず、つい“口の中で刻んでから”お墓に置いた。
どのおかずを見ても、どのご飯を見ても、まず頭に浮かぶのは「ミューちゃん、これ好きそうかな?」ということ。外食ではそんなことないのに、自宅での食事ではいつもそうだった。子どもにあげるように、自分のことよりもミューちゃんを優先していた。
昨日は改めて“口の中で刻んだもの”を出して見て、初めて「あ、これがミューちゃんの口に合う大きさだったんだ」と気づいた。18年間、当たり前すぎて一度も客観視していなかった。いつも直接くちばしに渡していたから、見たことがなかったんだ。
日中には、鳥かごを掃除した。ここ二日、また冬のように寒かったけど、ミューちゃんが亡くなった5日前は完全に暖かい春だった。みゅうちゃんはとことん運がいい。最後、春の温もりの中で旅立てたんだと思った。
鳥かごは、最初はロフトにしまおうと思っていた。でも、やっぱりこれはミューちゃんの「家」だった。だから今は、“小さな祭壇”のように飾ることに決めた。
掃除中、ミューちゃんの毛が春の空気の中にふわっと舞い上がった。まるで、空に飛び立つ彼女の姿のようで、言葉にできない感情がこみ上げた。
水洗いはせず、手で優しく拭き取るだけにした。ミューちゃんの匂いや記憶を、少しでも残しておきたかったから。
中には、牛乳パックで作った餌の受け皿があった。よく見たらくちばしでいっぱい噛まれてギザギザになっていた。さらに、普段あまり使っていないと思っていたハシゴも、端が削られていた。
ミューちゃん、こんなところでも一人で遊んでいたんだね。もっと噛む場所、作ってあげればよかった。“暇だった”なんて言葉じゃなく、そうやって一人で楽しみを見つけていたんだ。最後の最後まで、工夫して、楽しんで、ちゃんと生きていた。やっぱり、すごい子だった。
鳥かごの中には、羽、尾羽、トサカ、頬のオレンジの羽、最後にいた水飲み場の器、ペットシート、エサ箱、そして、生前作っていたミューちゃんの人形や、絵で作ったプラ板など、思い出を一つひとつ飾ることにした。人形やプラ板は生きているときに「大好きすぎて作った」ものなんだ。「僕の大好きだった証」として、今そこに並んでいる。
そして昨日の夕方、ミューちゃんの写真を印刷して、ノンアルコールビールを持って、心の中で乾杯した。ミューちゃんと僕の、正式な卒業の乾杯だ。「俺たち、すごかったな」って。一人で乾杯しているようで、ちゃんと“ふたりで”乾杯していた。
ミューちゃんはもう、鳥とか人間とかの枠を超えて、僕の中にいる。離れ離れになったけど、それぞれの場所で生きていく。そして、いつもつながっている。
最近、少しずつだけど、心が軽くなる代わりに、ある“力”が湧いてきている。ふとした瞬間に、自分でも驚くようなアイデアや力が浮かぶ。これまで以上に頭が冴えて、創造力が湧いている気がする。
もしかしたら、これは18年5ヶ月の間に、ミューちゃんと一緒に“育ててきた力”なのかもしれない。日々注いできた愛情や集中力が、今少しずつ、違う形で解き放たれている。
決してスピリチュアルな意味ではなく、現実として、僕の中に溜めてきた“誇りの力”、愛の力が、今、使えるようになってきた。そう思うと、自然とワクワクしてくる。これからの僕が、今まで以上の力を発揮できたとしたら、それはすべて、ミューちゃんとの日々があったから。
僕たちは、お互いに長い時間、無意識にたくさんの愛情と集中力を注ぎ合ってきた。その年月が、今の僕を後押ししてくれている。
今日は3月31日。年度末。当たり前のはずなのに、僕はずっとミューちゃんのことを考えすぎて、今日がそんな大きな区切りが近づいていた事すら忘れていた。2025年度、最後の日。転勤もなく、明日も同じ職場で過ごせることもありがたいと思った。
今年は「自分にとっては転機の年ではない」と思っていた。でもまさか、こんな形で“最大の転機”が訪れるとは思っていなかった。いや、少しは予感していたのかもしれない。だけど、やっぱり寂しい転機だった。
それでも僕は、この別れを乗り越え、力に変えていく。子どもたちや、家族のみんなは今日で今の環境を終え、明日から新しい環境へ進む。それぞれが新しい節目を迎えようとしている。
だからこそ、今度は僕が支える番だ。ミューちゃんからもらった力を糧にして、周りを照らしていく。もちろん、自分自身の人生も。音楽も、勉強も、これからの挑戦も、すべてにおいてもっと飛躍していくつもりだ。
ミューちゃん、一緒に頑張ろうね。これからもずっと、君は僕の心の中で生きている。その力を借りて、僕ら一緒にこれからも一緒に飛び立とう。
今日もありがとう、ミューちゃん。僕の誇りであり、僕の翼でいてくれて。明日からも、君と一緒に進んでいきます。