日々のことば(ブログ)

✍️“日本一の埋立県”広島が突きつける、ごみ問題という袋小路

おはよう。今日もいい天気。いよいよ夏が終わって秋の気配が濃くなってきたね。空気が澄んで、朝の光が柔らかくなってきた。

僕が子どもの頃、社会見学でゴミの焼却施設に行ったことがある。巨大なクレーンでゴミをつかんで焼却炉に放り込む光景に圧倒され、同時に「こんなにたくさんのゴミが毎日出ているのか」と不安になった記憶がある。今は僕らの子どもたちも同じように学校でゴミ処理施設を見学し、課題を目の当たりにしている。でも、見学のあとに残るのは「じゃあ自分に何ができるのか」というもどかしさだ。目の前でできる分別やリサイクル以外に、どう向き合えばいいのか分からない。結局、まずは現状を知ることから始めるしかない。

昨日、そんな気持ちを思い出させるようなニュースを見た。地元のテレビ局・RCCさんが詳細に取材してくださった広島のゴミ問題の報道だ。僕が住んでいる広島市の安佐南区にある最終処理場が、全国で最も多くの埋立容量を抱えていると報じられていて、正直びっくりした。全国ニュースでごみ問題はよく耳にするけれど、まさか自分の暮らす街が「日本一の埋立県」だなんて想像していなかった。

◾️広島から見えてくる埋立地の現実

広島には55件もの安定型最終処分場があり、その残存容量は全国の約13%にあたる863万立方メートルと突出している。しかもその多くが県外からのゴミを受け入れている。23都府県からの廃棄物が広島に集まっている現実を知ると、もはや「地元の問題」ではなく「全国の縮図」だと感じた。けれど、処分場の管理は必ずしも徹底されておらず、飛散や浸透水汚染の不安も繰り返し指摘されている。

◾️日本のごみ問題の構造

日本全体で見ると、家庭ごみは焼却とリサイクルの二本柱で処理される一方、産業廃棄物は依然として埋立依存が大きい。日本は「焼却率が世界トップクラス」という特徴を持ち、焼却は土地の節約にはつながるが、温室効果ガスや有害物質のリスクを伴う。自治体によっては県外搬入を禁止するところもあるが、環境省は「効率的な処理のため」として規制緩和を促す。環境保全と経済合理性、その間で政策は常に揺れている。

◾️統計から見るごみの姿

僕なりに調べてみると、日本のごみ排出量は2000年頃をピークに減少している。一般廃棄物は年間約4,000万トン前後で、一人あたりにすれば1日900グラムほど。それでもやっぱり膨大だ。リサイクル率は20%台前半で横ばい。ドイツや韓国が50%以上を誇るのと比べると、日本の数字は見劣りする。産業廃棄物に目を向ければ、年間3億トンを超える規模が発生し、そのうち最終処分(埋立)されるのは約1,000万トン。つまり「最後の出口は変わらず埋立に頼っている」という構造が見えてくる。

◾️世界に目を向けると

北欧ではごみを燃やして熱エネルギーに変えるWaste-to-Energyが主流だし、ドイツは分別回収の徹底でリサイクル率を高めている。アメリカは広大な土地を背景に埋立中心。発展途上国では適正処理が追いつかず、海洋流出や不法投棄が深刻化している。結局のところ、各国の事情が違えば方法も違う。日本のやり方が絶対に遅れているわけでも先を行っているわけでもなく、地理や経済、社会の背景が透けて見える。

◾️政治的な難しさ

ごみ問題は「技術が進めば解決」という単純な話ではない。必ず政治的な駆け引きが絡んでくる。例えば香川県の豊島事件。1990年代に産廃の不法投棄が発覚し、地下水や土壌が深刻に汚染された。あの経験を踏まえ、香川県では1991年に「県外からのごみ搬入を原則禁止」という独自ルールを作った。和歌山や宮崎でも同じように禁止条例がある。つまり「もう二度と豊島のようなことを繰り返さない」という強い地域の意志が法制度を動かしたわけだ。

一方で国の立場は違う。環境省は「処理を円滑に進めるためには搬入制限を見直してほしい」と自治体に呼びかけている。全国的な効率性を重視する国と、地域の安全や住民感情を優先する自治体。その両者の立場は根本からズレている。

僕なりに整理すると──
・国:処理の公平性・効率性を重視(全国どこでも捨てられる体制を作りたい)
・自治体:地域環境の保全・住民の安心を重視(負担集中を避けたい)
・事業者:コスト削減と処理の自由度を重視
この三者のベクトルがそろわないから、現場ではいつまでも同じ対立が繰り返されている。まさに「誰もが正しいけれど、誰の正しさも完全には通らない」政治的な袋小路に近い。

◾️歴史からたどるごみの行方

調べてみると、日本のごみ問題は時代ごとの社会背景を色濃く映してきた。江戸時代には灰や古着を再利用する循環文化があった。高度経済成長期に入ると「大量生産・大量消費・大量廃棄」の時代へ。やがて公害問題や埋立地の不足が顕在化し、2000年には「循環型社会形成推進基本法」が制定される。つまり、今の制度や理念は歴史的な積み重ねの中で生まれたものであり、過渡期の姿は「必然」でもある。

◾️技術イノベーションの芽

未来を考えるとき、すでに新しい技術が動き出していることも分かる。AIを使った自動分別ロボット、廃プラスチックを石油に戻すケミカルリサイクル、海洋ごみを回収する国際的なプロジェクト…。どれもまだコストや規模の壁があるけれど、「夢物語」ではなく現実の芽として育ち始めている。

◾️当事者意識の持ちにくさ

僕自身、今回ニュースを見て初めて「広島が日本一の埋立県」と知ったくらいだ。家庭ごみは日々分別して出すから自分ごととして意識できる。でも事業ごみや産業廃棄物は距離が遠い。誰かが処理してくれている、どこかで埋め立てられている、そんなふうに「他人事」になりやすい。逆に事業者や自治体からすれば「市民は関心を持ってくれない」と感じているかもしれない。自分ごとでもあり、他人事でもある──それがごみ問題の難しさなんだと思う。

◾️日常生活と直結する部分

結局は、僕らの日々の暮らしが全体の数字を形づくっている。レジ袋有料化でマイバッグを持つようになったこと。ペットボトルを買うか水筒にするか。食品ロスを減らす工夫。こうした小さな習慣が積み重なって「社会全体のごみの姿」を変えていく。産廃や最終処分場の問題は遠く見えるけど、僕らの毎日の選択が確実に繋がっている。

◾️社会学・心理学からの視点

ごみ問題は人間の心のあり方とも深く関わる。手から離れた瞬間に「存在しない」と思い込む心理。都市と地方の負担分配をめぐる摩擦。社会学では「環境正義」という言葉で、不平等な負担の集中を批判する。心理学的には「見えないものは気にしない」という傾向が、ごみを「存在しないもの」に変えてしまう。結局、僕らの無意識がごみ問題を長引かせている。

◾️これからの過渡期として

AIやバイオ技術、素材工学の進歩によって、将来的には「そもそもゴミを出さない社会」に近づく可能性がある。生分解性素材、循環型の生産・消費、新素材の普及。そんな未来は夢ではないかもしれない。でも現状はまだ過渡期で、結局は一人ひとりの分別や自治体の管理が支えている。未来の大きな変革を待ちながらも、今この瞬間にやれることを積み重ねるしかない。

さて、こんなふうに社会問題をマクロで考えてみると、最後は自分のミクロの生活に戻ってくる。仕事や生活、そして家族の幸せのために、持続可能な美しい環境をどう守るか。そのために、自分にできる行動を積み重ねていくしかない。僕自身も日々、精一杯生きているし、周りのみんなも、そして大切な家族も、それぞれの場所で努力している。その姿を僕は誇りに思うし、信じている。離れていても、心はひとつ。いつも愛してる。今日もありがとう。


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松永 修 – MUSICおさむ

松永 修/音楽名義:MUSICおさむ(シンガーソングライター)/音楽と文章の作家/国家公務員/キャリアコンサルタント

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