✍️僕の父と、僕という父

おはよ。
昨日はブログのサーバーの調子が悪くて、管理画面に入れず、せっかく書き下ろした記事が投稿できないという事態に陥った。

夜になっていろいろ調べて、なんとか解決できたんだけど、原因はワードプレスのキャッシュ系プラグイン。僕が使ってるやつが、サイト内のある仕組みと競合してて、それでトラブルが起きてた。管理画面が開けないから、サーバー側からFTPでアクセスして、プラグインを一つずつ調べて、やっと特定して無効化。夜な夜な、結構時間かかった。でも、なんとか復帰できて本当に嬉しい。

このブログを含むサイト全体は、僕の思いが詰まった作品そのものだし、自分の自己概念やアイデンティティをそのまま映してる。だから本当に、大切な財産だと感じてる。

過去のブログたちも、撮り溜めた楽曲たちも、全部が僕にとって宝物。自分にとって意味のあるストーリーであり、感覚や感情、音や匂いごと包んだ言葉のアーカイブ。
言葉の大切さを、僕は学生の頃、父から学んだ。愛し合う中での以心伝心や阿吽の呼吸も確かに真実だけど、それでもちゃんと言葉にして伝えることの大切さを、父との時間の中で体感として知ったんだと思う。

「ずっと語っていれば、それがいずれ本当の自分になる」
これも父がよく言ってた言葉で、当時はピンと来てなかったけど、今ならよくわかる。
冷静に整理すると、これは社会構成主義的なナラティブの実践でもあるし、社会的学習理論で言う自己効力感を高める行為でもある。だから決して非科学的じゃないし、実際僕は、生きてきた中で自然とこの方法を使ってきた。自分の性に合ってたんだと思う。

若い頃は、経験も裏付けもないけど、親や先人の言う通りに素直に生きてみるのが、案外効率的だったりすることも多い。
でも結局は、自分のアイデンティティを作っていくプロセスの中で、一度外から受け取ったものを壊したり脱したりして、再構成しながら自分なりのものにしていく。
何周かまわって辿り着いた答えが、ふと振り返ると、実は親からもらったものだったと気づく。そんなことが、この歳になってようやく見えてきた。

だからこそ、今親という立場になって、その責任をしっかり楽しみながら、僕も子供たちに、理屈じゃないレベルで、背中や愛情で触れていたいと思ってる。
父親としてできることは限られてる。でも、父親にしかできないことも確かにある。その部分をちゃんと握りしめて、子供たちとこれからも交わし続けたい。

さぁ今日も、仕事、音楽、勉強、生活。盛りだくさんだ。
頑張ろう。
そういえば、やっとみゅうちゃんへの思いを込めたロケットコードが完成しそう。合間にしか作業できないから、かれこれもう4ヶ月くらいかかってる。笑
そろそろ仕上げたいな。

では、今日もきっと、みんなそれぞれの場所で一生懸命がんばってるはず。
離れていても、同じ空の下。心はひとつだ。
みんな、愛してる。今日もありがとう。バイバイ。

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