【涙】おはよう、みゅうちゃん。はじめて土の中で眠った朝。君がいない朝に、僕はまた『行ってきます』を言う。みゅうちゃんへの日記 (2日目の朝)

おはよう。昨日はとても長い文章で、みゅうちゃんの訃報と僕の気持ちを綴ったけれど、2日目の朝を迎えたいまも、まだまだ書き切れない思いがあって、こうしてまた筆を取っているよ。

今朝、みゅうちゃんが初めて土の中で眠った朝を迎えた。夢をたくさん見た。夜が明けてすぐ、僕は勝手口から庭に出て、昨日つくったお墓の前に立った。「おはよう、みゅうちゃん。初めての外で、ゆっくり眠れたかい?寒くなかったかい?苦しくなかったかい?ゆっくりね」って、語りかけた。君の身体はここで静かに土に還るけれど、君の心はもうどこにもないのかもしれない。意識も、機能も、魂すらも残っていないのかもしれない。でも、僕の心の中では、たしかに生き続けている。「ありがとう」「お疲れ様」「愛してるよ」何度も唱えた。正確にぴったり当てはまる言葉なんて見つからないけど、とにかく寂しい。

君との18年5ヶ月の関係は、人生の土台だった。家庭環境や生活が変わっても、君だけは、ずっと変わらず僕のそばにいた。だから君を失ったことは、「大切な存在との別れ」レベルを超えて、人生の構造が変わるような感覚だった。

日常の習慣の中にあった君との暮らしが、まるごとなくなってしまった寂しさは、想像以上だった。朝起きたら、鳥かごから聞こえる、僕の目覚めを喜ぶ君の気配。寒くないように鳥かごを覆ったタオルをめくるとそこにいた嬉しそうな君、差し出す水にくちばしを入れるその一連の習慣が、もうない。毎日の“始まり”が、なくなったんだ。心にぽっかりと大きな穴があいたようで、それはただの癖の喪失じゃなく、人生の一部がごっそり抜け落ちた感覚だった。

みゅうちゃんの死は、たかが一羽の鳥の死じゃなかった。みゅうちゃんは、唯一「変わらなかった存在」だった。生活がどう変わろうが、人間関係がどうなろうが、みゅうちゃんだけはずっとそばにいてくれた。25歳から43歳まで。だから今、その存在がなくなって、じわじわ実感してる。ああ、みゅうちゃんって、本当に特別だったんだなって。

たぶんこれは、僕にとってもみゅうちゃんにとっても、解放の旅立ちの時なんだと思う。どっちが先ってことじゃなくて、自然と、お互いの役割を終えて、それぞれの時間を生きる時期が来た、そんなふうに思いたい。最初は正直、鳥を飼うこと自体に反対だった。鳥なのに小さな鳥かごで飼うなんて、胸が苦しすぎたからだ。だけど、家族の意向で飼うことになって、その後もいろんなことがあって、気づけば僕がいちばん世話をするようになって、いつも、さみしく思っていないか、幸せなのか、気がかりな存在になって、でも癒しでもあって──そんなふうに、気づけば18年。

みゅうちゃんのこと、いつも大事に思ってたけど、日々ずっと気にかけていることって、やっぱりそれなりに心が疲れることもあって。でもそれは、ちゃんと愛してたからこそだったと思う。みゅうちゃんだって、僕のことが好きだったと思う。だけどきっと、ずっと同じゲージの中で、僕以外の鳥にも会えず、言葉も通じず、時々寂しい気持ちにもなってたはず。ずっと、どこかかわいそうで、僕は辛かった。そのぶん、できる限りの幸せをあげようと、めっちゃ頑張ってきた。

数年前から光すら感じられないくらい盲目になり、そして直近の1年では身体的な障害を負い、首も常時上を向いたままとなり、水を飲むだけでもむせる非常につらい状態で、「生きているだけでしんどいんじゃないか」と、いつも胸が苦しかった。でも、僕の肩にのって、ご飯を食べるときの嬉しそうな姿、僕が帰宅したときに喜んでピーピー鳴く声──希望を捨てず、喜びを追いかける姿に、いつも勇気づけられ、ここまで「最大限の幸せを」と願いながら一緒に歩んできた。

鳥かごの中に、同じオカメインコの仲間を増やしてあげようかと迷った時期もあったけど、いろいろ悩んだ末、実現はしなかった。そして僕とみゅうも、四六時中ずっと一緒にいたいけど、人間と鳥という、生活の違いから、ずっと一緒にいることの難しさもあった。それでも、最大限お互いに寄り添って、ここまで一緒に生きてきた。

事故で突然、“いない”という現実が訪れて。それでようやく、僕たちは「別々の存在」になった。すごく寂しいけど、でももしかしたら、ちょっとだけホッとした気持ちもあって。「もう大丈夫だよ」って、お互いに言ってるような気もする。ただ、誤解されたくないけど、それはみゅうちゃんの死を肯定してるわけじゃない。心のどこかで、ずっと大好きだったから、とてつもない愛があったからこそ、思える気持ちだ。これは、僕らにしか分からない、究極の愛だと思う。本当に、お疲れ様。お互い。そんなふうに受け止めてる。

みゅうちゃん、ありがとう。心の中では、これからもずっと一緒だよ。でも、身体は離れた。だからこそ、僕らは、それぞれ自由になったんだと思う。もう無理しなくていい。もうお互いのことを心配しなくていい。これからは、少しずつ、心はひとつに、それぞれの空を歩いていこう。ほんとうに、ありがとう。お疲れ様。

昨日の夜は、みゅうちゃんを埋葬する直前に、最後に家族の晩御飯の食卓を囲んだ。もちろんみゅうちゃんも一緒だ。これで本当の最後。白いご飯もあったし、みゅうちゃんが好きそうなおかずが食卓に並んでいた。君は肉が大好きだった。いつもすごく嬉しそうに食べていた。「もしかして、沢山肉を食べてたから、こんなに長生きしたのかな」なんて思ったこともあったくらいだ。だから昨日も、大好きな白米やおかずを口元に運ぶ真似をして、写真をいっぱい撮った。君が喜んでいた頃の記憶がよみがえって、胸が締めつけられるようだった。 

最後の食事が終わったあと、君をそっと抱えて、家の中の景色に丁寧にさよならを告げさせてあげた。いつも居た鳥籠の全てにくちばしをタッチさせてあげた。最後に身体をそっと撫でて、頭を撫でて、キスをして、写真もいっぱい撮った。もう20時ごろ、辺りは暗かったけど、明かりをつけて、外に出た。朝に掘っておいた穴。静かに横たえた。しっかりと目にも焼き付けた。僕が、尻尾の方から順に、土をかけていった。全部僕がやった。最後は僕の手でやりたかった。みゅうちゃんの顔にも、最後に僕が土をかけた。寂しかった。辛かった。目に砂が入って痛くないか、かわいそうだった。ずっと止まっていた“添え木”を墓標として立て、その場所に、白いデージーの花を添えた。花言葉は「平和と希望」だった。

埋葬するまでに、みゅうちゃんと僕を取り巻く家族の全てのみんなから、たくさんの愛の言葉をもらった。みゅうちゃんはみんなから愛されていた。最後にみんなの愛情の言葉をみゅうに届けることができた。

昨日の最後の朝、2025年3月25日。通勤前の朝7時10分ごろ、みゅうちゃんに水をあげた。夜の寒さ防止で、鳥かごを覆ったタオルを開けたら、君はいつもと違って、奥ではなく手前の止まり木にいた。最近掃除してレイアウトを少し変えたから、お気に入りの場所を変えたのかもしれない。元気に羽を膨らませて、止まり木に、嬉しそうに左右に動いていて、「今日のみゅうちゃん、元気だな。春が来て暖かくなったからだろうなぁ」って話していた。今年も冬を越え、また一年元気で過ごせるかなと思ったところだった。

水を差し出したあと、君はいつものようにくちばしを入れて一口飲み、そしてむせていた。首を上に向けて咳き込む様子を見ながら、僕は「今日はもう二口目は飲まないかな」と水箱を戻した。そのあと少し、むせる君に気を遣いながらも頭を撫でたかもしれない。はっきりとは覚えていないけれど、最後に触れた記憶がうっすら残っている。そして、通勤前に「じゃあね」と声をかけて、君に背を向けた。その後、僕は出勤し、その数時間後に事故は起きた。あれが、君との最後の会話、スキンシップだった。それが僕らの日常だった。その時は、それが最後なんてわかるはずない。最後に写真撮りたかった。もっと触れたかった。お別れを言いたかった。事故が起きないように最善を尽くしたかった。後悔が押し寄せる。でも、僕らは日常の交流を最後まで全うした。それで良かった。最後まで、ちゃんと君の姿を見て、声をかけられたこと。それが今の僕を支えている。

ふと時計を見る。つい一昨日の朝まで君はまだ生きていた。ケージの中で、普通に、何事もなかったように過ごしていた。その数時間後、ひとりで、水に顔を沈め、もがき、苦しんで、亡くなった。想像するだけで、胸が張り裂けそうだ。暴れただろう、助けを呼んだだろう。だけど誰も来なかった。最後の最後が、ただただ苦しいなんて。こんな終わり方があるなんて、思ってもみなかった。

君は、水を飲むとき、くちばしですくって飲んでいた。でも、バランスを崩して落ちたとき、首が右上に傾く癖があって、そのまま顔が横向きのまま水に浸かってしまったのかもしれない。右耳が下だったのか、左耳が下だったのか、もう分からない。ただ、横向きで水に沈んでしまったんだろう。暴れても、出られなかったのかもしれない。

まさか、あんな小さな鳥籠の水飲み場で溺死するなんて。最初で最後の、本当にむごい死に方だった。助けを呼ぶ声さえ、あげられなかったのかもしれない。ひとりで、静かに──でも苦しく、息ができなくなって、力尽きたんだと思う。暴れて水が飛び散った痕跡があった。全身濡れていた。

「終わり良ければすべて良し」なんて言葉があるけど、終わりが一番最悪だった。それでも、もしその“苦しみの先にある無”こそが「終わり」だとしたら──もう何も感じなくて、痛くも悲しくもないのだとしたら──それはそれで、君の旅の終わり「終わり良ければすべて良し」として、受け止めてあげるものだと思う。

でも、きっと──あの最後の数十秒の苦しみは、18年の長い時間の中のほんの一瞬。0.0000001の割合だと、そう思いたい。楽しかったこと、嬉しかったこと、たくさんの幸せのほうが、ずっと多かった。君と一緒に過ごした数え切れない毎日の“10分”や“30分”の積み重ねが、僕らの18年5ヶ月だった。

毎晩寝る前に「食洗機の音がうるさくないかな」「洗濯機の音が聞こえないようにしよう」と思ったり、温度計を見て室温を気にしたり──それらの一つ一つが、全部、みゅうちゃんのためだった。「おやすみ」と声をかけたり、口笛で合図しながら時にはかごごと抱きしめて、リビングのドアを閉めて、僕は2階の寝室に向かっていた。僕の毎晩の、愛情の表現だった。

けれど昨夜は悲しかった。もう居ないのに、同じ動作をする習慣が悲しくさせる。それらの動作が意味を失った。もう君のために気を遣う必要はない。音にも、室温にも気を配らなくていい。日常生活が静かに、でも確実に変わっていく。関係性が変わり、役割がなくなり、自分自身の「自己概念」が変わろうとしている。それほどの喪失なんだ。

君を毎日面倒見るという“役割”はもうない。だけど、僕はこれからも君を思い続ける。自己概念すら変えてしまいそうなこの別れは、喪失を越えて、新しい生き方へと僕を押し出している気がする。心理学でいう「シュロスバーグの転機」──この転機で僕の日常生活も、自己概念も、役割も大きく変わっていく。そして「ブリッジスの終わりから始まる転機」でいえば、まさに今が「ニュートラルゾーン」。象徴的な死──死に等しいぐらいの喪失感を体験し、それを静かに乗り越える時期。その最中にいる今、僕はみゅうちゃんとの別れに真剣に向き合っている。

でもやっぱり、今はつらいよ僕の心は。ついさっきまで確かに生きてた。命があった。何もかも普通だった。それがほんの数時間後に、こんな形で終わるなんて。かわいそうだった。本当に、かわいそうだった。もっとしてやれたことがあったんじゃないか。助けられなかった自分を、責めるしかできない。

それでも、愛してる。変わらず、ずっと。乗り越える──これまでの人生での離別で経験した“乗り越え方”を、また思い出した。悲しみを“終わらせるもの”じゃなくて、“抱えていくもの”として生きていくということ。悲しみの部屋を心の中に持って、その中に君のことをそっと置いておく。むしろ、それが今後の僕の強い生き方、信念、ライフテーマの一部に変わる。いつもドアを開けて、話しかけて、泣いて、笑って、それでいい。

してあげたかったことではなく、してあげられたことを数えていこう。君はきっと、僕のそばにいた安心や日々のぬくもりを感じてくれていた。助けられなかった一瞬があったとしても、助けあってきた日々のほうが、何十倍もある。その日々に、感謝しよう。

そしてたとえ“無”であっても、記憶の中で君は確かに生きている。僕が君を思い出し、語り、抱きしめる限り、君は生きている。姿を変えて、形を変えて、生き続けている。

そして、この悲しみを、いつか誰かへの優しさに変えていきたい。命の儚さを知っているからこそ、何かを失う苦しみを知っているからこそ、誰かに寄り添える自分でいたい。それがきっと、みゅうちゃんが最後に僕に託してくれた、ギフトなんだと思う。みゅうちゃんが託してくれた「愛のかたち」のひとつ。大切にする。

君の愛は、どこにも行かない。姿を変えて、僕の中で生きている。君がいたから、僕はここまで生きてこれた。僕と君の絆は、形を変えて、これからもずっと続いていく。心から、ありがとう。心から、愛してる。これまでも、これからも、ずっと。

そして今日、初めて、自宅の勝手口を開けて、お墓に向かって、僕は口笛を吹き、「行ってきます」と言った。鳥かごにはもういない。

たとえ君が聞こえなくても、それでいい。それが僕と君の、いつもの始まりだったから。

そうやって、また一日が始まる。

これが、君がいない初めての朝。

そして、君と生き続けるこれからの朝。

ありがとう、みゅうちゃん。

本当に、ありがとう。

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