【涙】みゅうと過ごした日々を抱きしめて。まだ心はあの日に止まったまま、それでも少しずつ歩き出す3日目の朝

おはよう。みゅうちゃんがいなくなって、3日目の朝だ。今朝も、お墓に向かって声をかけた。口笛を吹いて「おはよう」って呼ぶと、君の声が返ってこないか、耳を澄ましてしまう。

君が天国へ旅立ってから3日目。でも、僕の時間はまだ、あの日から止まったままだ。あの火曜日以来、僕はずっと日常に戻れていない。毎日続けていた音楽も、勉強も、仕事も、すべて手につかなくなってしまった。今朝もそうだった。仕事中もずっと、君のことを考えてしまって、気づけば手が止まっている。5分だけ頑張ろうと思っても、10分くらい君のことを思い出してしまう。その繰り返しで、現実のやるべきことがなかなかできない。夜中もずっと君のことを考えていて、睡眠も不足している。涙はだいぶ枯れたけど、まだ、ふとした時に出てくる。…でも、それも仕方ない。君と18年5ヶ月も一緒にいたんだから。ただ、寂しいんだ。

でもね、こうして毎日、君とのことを考えて整理しようとしているのは、前に進みたいからなんだ。無理に忘れるんじゃなくて、思い出を抱きしめたまま、君と一緒に生きていくために。昨日の夜も、夜中の1時半まで、寝不足になるほどずっと、君の死因について考えていた。カゴの前に立って、君の身体の状態や遺体の様子、まわりの状況を何度も思い返していた。あの時は、顔が水に浸かっていたから、溺れたんだと決めつけていた。でも、冷静に整理してみたら、別の可能性も見えてきた。発作だったのか、足を滑らせただけなのか。どちらにしても、君があまり暴れた形跡がなかったこと。羽が綺麗に閉じていたこと。水があまり飛び散っていなかったこと…。いろんなことを合わせて考えると、君が苦しみ抜いた可能性は高くないのかもしれない。もしかしたら、ほんの一瞬で意識を失ってしまったのかもしれない。それなら、少しだけ心が救われる気がしたんだ。ただの希望観測じゃなくて、本当の事実に近づきたくて、知りたくて、全部心に残したくて…その一心で、考え抜いた。

みゅうちゃんは18年5ヶ月も一緒に生きてきた。オカメインコとしても驚くほど長生きだったし、人間に換算したら90歳、いや100歳近いご長寿だったと思う。既往症もいくつか抱えていたし、足腰も弱っていた。だけど、そんな中でも毎日を一生懸命に生きて、僕たちのそばで穏やかに過ごしてくれていた。

最後はきっと、何かのきっかけで水に顔を浸してしまったけれど、暴れた形跡が明らかではなかったことや、羽がきれいに閉じられていたことから、苦しまずに早く意識を失ったのかもしれない。そう思えるようになった今、これは事故であると同時に、彼女なりに天命を全うしたとも感じている。

そして今朝、ふと日常の記憶を思い出した。君が僕の肩の上で、かわいいうんちをしていたこと。すぐに僕の服を汚して、僕はそれを慌ててティッシュで拭いたり、気づかずにそのまま出かけちゃったり。でも、それも全部、僕たちの大切な日常だった。そんな日々のやりとりは、18年ずっと続いてきた。そして、君が亡くなるその直前まで、変わらず続いていた。そんな一番身近なやりとりの、愛おしい記憶が、ようやく思い出せた。ずっと、悲しみや寂しさばかりが頭を占めていたけど、ようやく、君の「生きていた日々」の記憶を思い出せるようになった。これも、少しずつ心が落ち着いてきた証拠なのかもしれない。

そういえば、もうひとつ奇跡のような出来事があった。君が亡くなる前日の3月24日、たまたま家族がスマホで誤って撮った2、3秒の短い動画の中に、僕が君を肩に乗せてサンマを口移しであげている姿が映っていたんだ。しかも、君の鳴き声まで録音されていた。僕はずっと、直近で撮った動画は1月のものが最後だと思っていて、どうして最近、君の動画や写真をもっと撮っていなかったんだろうって、すごく後悔していた。でも、まるで君が残してくれたみたいに、その動画がたまたま残っていた。それを見て、あの日のことが一気に蘇った。君の大好物のサンマをあげた日。白ごはんは抜いちゃったけど、君は美味しそうにサンマだけ食べてくれた。でも、その夜は僕も忙しくて、いつもの夜よりごはんの時間が短くて、ほんの10分くらいだった気がする。お腹いっぱいにさせてあげたかったなって、少し後悔もある。でも、確かにあの日、君と一緒にごはんを食べた。その確かな記録が、奇跡的に残っていた。

そういえば、もうひとつ思い出したことがある。あの日、3月24日の夜。最後に君にサンマをあげたあと、僕はちょっと忙しくて、ゆっくりスキンシップを取る時間がなかったんだ。すぐにお風呂に入ろうとしていたのもあって、いつものように君を右手でそっと包んで、落とさないように丁寧に、でも足早にカゴに戻した。その時、特別なやり取りをしたわけじゃないけど、ちゃんと優しく戻した記憶がある。そして、置いた場所はたぶん間違いなく水飲み場の足場だったと思う。なぜかというと、ご飯を食べた後は喉が渇くだろうと思って、君を水飲み場の近くに置くのが僕の癖だったから。だからその時も自然とそうしていたと思う。

そのあと君が水を飲んだのか、それともすぐに移動したのか、正直覚えていない。いつもだったら、君が水を飲む様子を見守ったり、自分で止まり木に戻るのを確認したりしてたけど、その夜は覚えてないんだ。だから、もしかしたらそのまま朝までそこで過ごしたのかもしれないし、一度寝床に戻ってから、また夜中に水飲み場に移動したのかもしれない。これは死因とは直接関係ないけど、大切な記憶として、今ちゃんと残しておきたいと思った。

そしてもうひとつ、僕の中でどうしても忘れたくないのは、この直近の数週間、あるいは数ヶ月の君との日々。もしかしたら僕は、どこかでお別れが近いことを感じていたのかもしれない。意識していたわけじゃないけど、なんとなく日々の中で、君との時間を噛みしめながら過ごしていた気がする。君に何度もチューをしたし、顔を包むようにして愛情を伝えたり、話しかけたり、ご飯をあげたあとも肩に乗せてできるだけ長く一緒に過ごした。食器を洗う時も肩にいたり、土日には朝・昼・夜と三食一緒に過ごすことも意識していた。子どもたちにも君を近づけて、みんなでたくさんスキンシップをとっていた。

振り返っても、みゅうちゃんのことを「後回しにしなかった」自信がある。仕事から疲れて帰ってきた夜も、どんなに眠くても、僕自身がお腹が空いてなくて食欲なくても、僕はみゅうちゃんを肩に乗せて、一緒にご飯を食べる時間を何より優先していた。
「みゅうちゃんがいるから時間かかっちゃってごめんね」って、家族にもよく言っていたけど、それでも絶対に一緒に過ごす時間だけは削らなかった。

子どもたちが残したパンの耳やご飯粒を見つけては「これはみゅうちゃんにとってはごちそうだね」って言って、あげるのが僕の癖になっていた。そんな風に、日常の中で自然とみゅうちゃんの存在を一番に感じていた。

昔は夜のご飯を飛ばしてしまう日もあったけど、最近はそれがないようにしていた。夜ご飯は毎日欠かさずあげたし、たとえ忙しくても、君との時間を後回しにしないようにしてた。それは、後悔しないためじゃなくて、自然とそうしてたんだと思う。今振り返ると、本当に君と僕のこの最後の数ヶ月は、丁寧で幸せな時間だったと思える。

日中は家の中に生活音もあって、家族の声や気配もしていた。君にとっては、静かすぎず、でも落ち着いた環境だったはず。君は本当に死ぬ直前の数ヶ月は特に、色々と老化や既往症を抱えながらも、18年間の中でも一番穏やかで、幸せに過ごしていたって思える。

これは、自己満足でも後悔を打ち消すためでもない。ただ、みゅうちゃんが亡くなった今、改めて心から大切にできていたと思えるその時間が、何より救いになっている。だからこそ、この記憶はちゃんと残しておきたいんだ。みゅうちゃん、君との毎日、ちゃんと届いてた。間違いなく、最高に幸せに最後まで一緒に過ごせてた。僕も、全力で君に向き合っていた。

そして、君を初めてお墓に埋めた夜のこと。寂しくて仕方なくて、眠りについたその時、夢の中で「ミュージックオサム」という名前の「ミュージック」と、君の「ミュー」が重なった。「そうか、ミュージックの“ミュー”は、これからはみゅうちゃんだと思って生きよう」って、夢の中で思った。まるで、君が教えてくれた気がした。僕の心の中では、これからずっと、ミュージックオサムの「ミュー」は君のこと。君はいつも、僕の音楽に寄り添ってくれていた。過去、家族と離れ離れになった辛い時期も、音楽が僕とみゅうを救ってくれた。そして今また、君を失ったこの悲しみも、きっと音楽が救ってくれる。音楽は、僕の生きる力であり、悲しみを昇華する手段であり、そして君を含めた家族や大切な人たちと、たとえ離れても、星になっても愛で繋がれる場所なんだ。

昨日は、ものすごい大雨だったね。君にとっては初めての雨。初めてお墓に入って、きっとびしょ濡れになったよね。君の身体も、土の中で濡れていたと思う。もし君が生きていたら、あの雨に打たれるのはきっと辛かった。でも、もう今は自然に還る身体。あの雨は、君にとって恵みの雨だったんだ。土の中で眠る君を、静かに包み込んでくれる、優しい優しい雨。そう思えるようになった。

まだ3日目。君がいなくなった喪失感は、簡単に癒えるものじゃないけど、こうして毎日少しずつ向き合って、言葉にして、君と一緒に歩んでいく。明日は土曜日。君が過ごしていた鳥かごを、少しずつ片付けながら、また心の整理をしていくつもり。来週からは、また音楽にも、仕事にも、勉強にも、少しずつ向き合っていけるように。君の分まで、ちゃんと生きていけるように。

今日もありがとう、みゅうちゃん。また、今日も、明日も、あの日の続きを話そう。

いってきます。あいしてる。ピッー。

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