おはよう!
昨日、俳優の中山美穂さんが亡くなった。衝撃的なニュースだった。たった僕の一回り上の人だ。小学生の頃、「世界中の誰よりもきっと」を夢中で聞いた記憶がある。当時、中山美穂さんを「芸能人」として見ていて、その人が何歳なのかなんて考えたこともなかった。でも、今振り返ると、たった一回り上の普通の人間だったんだなと思う。早すぎる。
最近、身の回りで浴槽で亡くなる人が多い。高齢者が多いけれど、50代の方でもヒートショックで亡くなるケースがあり、衝撃だった。
お酒を飲む人は、条件が重なるとそのリスクは格段に上がるらしい。とにかく、年代を問わず浴槽でヒートショックが起こり得るという事実には驚いた。
突然死と療養を経てゆっくり死を迎える形、どちらが良いのか考えることがある。さらに、自宅で死を迎えるのか、施設で過ごすのかという選択肢もある。どれも一長一短で、一概に良し悪しは決められない。
突然死には、明日を楽しみにしている中で急に亡くなる無念さがある。一方、療養を経る場合、やり残したことを整理する時間がある反面、死を意識し続ける寂しさや虚しさと向き合わなければならない。
自宅で日常の中で死を迎えられるのは理想的だと思う。ただ、施設生活にも良さがあるかもしれない。いずれにせよ、人生の最後の時間はその人の全体の人生を色づける。「終わり良ければ全て良し」という言葉が示すように、最後が悪いと、それまでの幸福な時間も霞んでしまう可能性がある。
特に辛いのは、幸せだった人生の最後を劣悪な環境の施設で過ごし、家族にも会えず、不満や後悔の中で死を迎えることだ。そんなことになれば、最も良かった記憶すらも霞んでしまう気がする。
最近、「突然死も悪くないのかもしれない」と思うようになった。普通に明日を楽しみにしながら、苦しまずに亡くなるのは悪くないのではないかと。ただ、これはあくまで自分の場合。他人、特に両親や兄弟、子供たちにはできるだけ長生きしてほしい。愛する人の笑顔を少しでも長く見続けたい、というのが本音だ。
自分も愛される身である以上、一日でも長く生きようと努力するのが大切だと思う。それは自分のためだけでなく、家族や大切な人たちのためでもある。だからこそ、健康を意識し、事故に気を付け、自立した生活を送り続けたい。そして、最後まで自分の人生を楽しみ、後悔のない形で終えたい。
さあ、今に焦点を戻そう。今日は僕にとって大切な一日だ。昨日、ミックスボイスやヘッドボイス、自分の声帯や筋肉の動きについて新たな気づきを得た。ようやく本当のスタート地点に立った気分だ。この感覚は嬉しく、初心に戻る思いだった。
新しい発声方法やさまざまなテクニックを認識し、それを少しずつコントロールできるようになってきたのが何より楽しい。ただ、これらはまだ始まりにすぎない。これからさらに技術を使いこなし、さまざまな歌を楽しみたいと思う。
鼻歌を歌うだけでも、今まで知っている歌の歌い方が全く変わった。新しい意識と響きの違いには驚かされる。これを10代の頃に知っていたら、人生そのものが変わっていたかもしれないと思うこともある。
もしも20年以上、この発声法を鍛錬していたら、今頃どれほど上手くなっていたかと考えることもある。ただ、そんなことを思っても仕方がない。今気づけたことが一番大事だし、遅いなんてことはない。これから20年後の60歳には、この技術をさらに磨き、もっと上手くなっている自分を想像している。それが希望だ。
人生には必ず終わりが来る。それは避けられないけれど、結果よりもその過程が大切だ。だからこそ、諦めずに新しいことを追い求めながら、自己成長と自己実現を楽しみ続けたい。
昨日は音楽制作が進まなかったが、今日は朝のうちにこの日記を書き終えたら、滞っていた勉強や音楽制作を進めたい。その後、家族が起きる前に家事を済ませて朝ごはんを作り、自治会の役員会に出席する予定だ。その帰りに愛車の修理の見積もりに行き、さらに親戚の家にも顔を出して感謝を伝える。こんなふうに、今日も忙しい一日になりそうだ。この朝の時間は自己成長と自己実現に向き合える貴重な時間だ。全力で楽しみながら頑張りたい。
12月もあっという間に過ぎ去るね。慌ただしい時期だが、計画的に無理のないペースで進めたい。離れていても同じ空の下で繋がっていることを感じながら、いつも感謝を忘れずに過ごしたい。ありがとう。バイバイ。