おはよう。
今日、11月8日は僕にとって特別な日。
2年前のこの日に、「今日からお酒をやめよう」と決めた。
その日から数えて、ちょうど2年になる。
本当に、一滴も飲まないと決めてからの毎日は、正直きつかった。
いや、そもそも365日、毎晩のように飲むタイプだったから、日々の晩酌の時間そのものが大きな誘惑だった。
盆も正月も、友人や職場の集まりも。
キャンプやBBQ、音楽でラジオに出てお笑い芸人さんたちと打ち上げに行った日も、十年ぶりに人と再会した日も、18年以上一緒に過ごしたペットが亡くなった日も──。
飲みたい気持ちは、毎日のように湧いた。
そして節目ごとに、強烈に押し寄せた。
「この日くらいはいいか」と思う自分と、
「いや、ここで崩すのは違う」と思う自分が、
何度も頭の中で言い合いをしていた。
それでも、一度も負けずに、ここまで来た。
踏みとどまるたびに得られたのは、不思議な“誇り”と”自信”だった。
飲まなかった自分が、今の自分をつくっている。
あの日、我慢できたから今日がある。
その実感があるからこそ、やめてよかったと思う。
◾️僕がやめてきたもの
思えば、これまでの人生で、いろんなものをやめてきた。
若い頃はギャンブルにも夢中だったし、過剰な女遊びに走った時期もある。
高校生の頃から20年以上吸い続けたタバコも、五年前にやめた。
お金も時間も感情も、人間関係も、ずいぶん浪費してきたと思う。それも青春の一部だった。
でも、少しずつ自分を取り戻すように、それらを一つずつ手放してきた。
そして最後までやめられずに残ったのが、お酒だった。
ギャンブルをやめ、浪費をやめ、タバコをやめ──それでもお酒だけは残った。
それだけに、今振り返ってみて、本当に一番やめてよかったと思えるのは、やはりお酒だ。
お酒って、“最後までやめにくいもの”なんだ。
だって、嗜めば害がないと思われがちだし、「百薬の長」なんて言葉もある。
「たまには息抜きも必要だよ」と言われれば、それだけで正当化できてしまう。
でも、過度になれば、じわじわと心も体もむしばむ。
過度でなくても、確実に集中力や生産性を失う。
その怖さを知っているからこそ、今の自分がある。
本当に、やめてよかったと思う。
◾️お酒をやめて気づいた“時間の豊かさ”
お酒を飲まない日は、思っていた以上に多くのことをこなせるし、生み出せる。
夜の時間が、そのまま自分のものになる。
勉強ができる。音楽をつくれる。運動もできる。
そして、質のよい睡眠が取れる。
翌朝の目覚めが軽く、頭が冴えていて、何をするにもスムーズだ。
飲んでいた頃の日々と比べると、一日が二倍になったような感覚になる。
IQが上がったような気分で、思考が明晰になり、自己理解や分析力、判断力、想像力、創造力──すべての歯車がかみ合っていく。
その積み重ねの中で、勉強も、仕事も、趣味も、驚くほど効率的にまわりはじめた。
僕にとって「お酒をやめる」という選択は、我慢ではなく、“時間と能力を取り戻す”という選択だったんだと思う。
◾️飲まないという“自由”
僕はお酒を嫌いになったわけではない。むしろ大好きだ。
正直、今でも飲みたい。
いつまでたっても、我慢の連続だ。
たしなむ程度に、上手に飲めるなら──そう思って、つい飲んでしまいたくなる時もある。
たぶんこれは、一生続く感情なのかもしれない。
アルコールの依存性は、想像以上に深い。
それは、いわゆる薬物依存と本質的には同じ構造を持っていると思う。
一説によれば、アルコールの依存度は覚醒剤を上回るとも言われる。
だからこそ、この感覚もきっと、それに近いのだろう。
それでも、時が経つにつれて、その衝動は少しずつ薄らいでいく。
仮に飲むとしても、結局、どのみちそれはトレードオフだ。
飲めば、それなりに失うものがある。
飲まない今の生活には、数えきれないほどのメリットがある。
脳がクリアで、朝の光がまぶしい。
思考が深く、行動が速い。
一方で、飲んでいた頃の“メリット”を思い返すと、
結局その多くは、脳の麻痺によって得られていた一時的な安らぎだった。
今は、その安らぎを別の形で手に入れている。
現実の中で感じる、静かな満足感や達成感。
それを知ってしまった以上、戻る勇気のほうが怖くなった。
飲みたいけど、飲んだら失うものが大きい──
今は、そのシンプルな天秤の上で生きている。
◾️“家族の安心”という何よりの財産
何よりも良かったことは、家族が安心してくれていることだと思う。
これは、何にも代えがたい。
僕がお酒を飲まないことで、経済的にも精神的にも、そして日々のリスクマネジメントの面でも、家族の心が穏やかでいられる。
この安心感こそ、人生で得たどんなお金よりも価値がある。
たとえ僕が「少し息抜きしたいな」と思う日があっても、それを別のことで置き換えられる。
音楽をつくる。体を動かす。家族と過ごす。友達と話す。自然の中に身を置く。
そんな時間の中で、自然と心が満たされていく。
お酒をやめる前は、そうしたどんな時間も、「そこにお酒があったらもっと最高なのに」と思っていた。
むしろ、お酒がないなら楽しめない──そんなふうに感じていた。
たとえばキャンプやBBQで、大自然の中でお酒が飲めないなんて…もう行く意味がない、と思ったこともある。
でも、今は違う。
お酒がなくても、自然の美しさをそのまま感じられるようになった。
その澄んだ感覚こそが、僕にとっての“新しい酔い”なのかもしれない。
つまり、誰にでも、お酒を飲む前の“純粋な感覚”があったはずだ。
僕にとっては、ただその頃の感覚に、ようやく戻れたということなんだと思う。
友人との付き合いも、職場での集まりも同じ。
お酒がなくても会いたい人こそ、本当に付き合うべき人だ。
あの頃は、お酒があるなら、たいして気の合わない人との集まりにもよく顔を出していた。
でも、お酒をやめてからは、そうした会合に自然と行きたくなくなった。
最初は、それが少し寂しかった。
けれど今では、それもまた自然なことなんだと思えるようになった。
残った人間関係の中に、本当に大切な人たちだけが残ったからだ。
そして、そんな自分を見て、家族が本当に喜んでくれた。
この“安心”は、僕にとっての一番の財産だと思う。
長い目で見れば、リスクを減らすことは、幸福そのものを増やすこと。
お酒をやめた今、ようやくその意味を実感している。
◾️“飲まない少数派”として生きる
今でも、職場の集まりでも忘年会でも、友人と会う時でも、みんなお酒を頼む。
その中で、飲まないのはほぼ僕ひとりだ。
感覚で言えば、98%が飲んで、2%が飲まない人。
その2%のうちのほとんどは、もともと飲めない人たち。
「飲めるのに、あえて飲まない人」は、ほとんどいない。
いたとしても、大抵は健康上の理由や、医者の助言でやめた人ばかり。
だから僕みたいに、まだ健康上の問題もなく、若いうちから自分の意思で“飲まない”を選んでいる人間はとても珍しい。
その分、説明が難しい。
「なんで飲まないの?」「問題でも起こした?」なんて冗談まじりに聞かれることもある。
そのたびに僕は笑いながら、「生産性のためかな」と答える。
すると、みんな一瞬“?”という顔をする。
でも、それでいい。
笑いながら、こう続ける。
ほら、酒を飲むと、筋トレも、勉強も、創作もなかなか進まないし、
飲みすぎた次の日はつらいし、
人間関係のトラブルも減るし、お金もかからないし──って。
僕の中では、ちゃんと筋が通っている。
飲めるのに飲まないという選択は、僕にとって“我慢”ではなく“自由”なんだ。
誰にも強制されず、誰のせいにもせず、自分で選んだ生き方。
それだけで、十分だと思う。
◾️親友の言葉
何でも言ってくれる親友がいる。
東京と広島で離れて暮らしているけれど、たまに電話をする仲だ。
ある時、彼がふと言った。
「お酒には気をつけなきゃ。人はみんな気づいてないかもしれないけど、結局アルコールっていう“合法のドラッグ”に依存してるんだよ」
その時は笑って受け流したけど、その言葉はずっと心に残っていた。
そして数年後、別のきっかけで、僕は決断した。
去年、久しぶりにその友人に会った時、僕はもう飲まなかった。
彼も僕に合わせて、コーヒーを飲みながら静かに笑っていた。
2人とも、お酒がめちゃくちゃ好きなタイプなのに。
あの時間は、僕らにとっての新しい乾杯だった。
◾️これからの一年へ
今日で2年。
この達成感は、何かを得たというより、「自分との約束を守った」ことへの誇りだと思う。
正直、いわゆる自己効力感が爆上がりだ。
その感覚が良循環になって、仕事も、音楽も、勉強も、健康も、すべてがうまく回り始めた。
そしてその選択が、誰かの安心につながっていることが、何よりもうれしい。
だから今日、新たに誓う。
とりあえず、またもう1年、この生き方を続けてみよう。
きっとその先には、「もう一生このままでいい」という未来が待っている気がする。
お酒をやめた日が、僕にとっての“自由記念日”。
これからも、この自由と安心を、大切にしていきたい。
さて、そんなことを考えながら、今日も一生懸命に生きていく。
僕の生きがいは、子どもたちをはじめ、妻や両親、兄弟、家族だ。
みんな愛してる。
みんなと、もっと豊かに、楽しく、安心して過ごせるように。
大切なものを守っていく。
今日も、明日も、そして明後日も。






