✍️酒と性とお金と。快楽に溺れた先に待っていた、“奴隷”という現実

おはよう。
今日もいい天気だ。朝から少し深い話をしたい。でも、ただ暗い話じゃない。これは「気づき」の話。そして「選択」の話だ。

僕は今、断酒を始めて1年7ヶ月が経った。
もう習慣としては完全に抜けているし、「飲まない人生」のほうが心地いいと感じられている。
でも、ふとした瞬間に、こういう妄想が頭をよぎることがある。

もし、今ひとりになって、
お金も時間も自由もすべて手に入ったら?
もう何もしなくてよくて、責任もなくて、誰にも何も縛られないとしたら?

そうしたら僕は──
好きな時にお酒を飲んで、煙草を吸って、射幸性の高い金銭の遊びにふけり、思うままに性欲を満たして、疲れたら寝て、また起きたら快楽に浸って…。
そんな風に過ごしてみたいと思ってしまう自分が、確かにいた。特に若い頃は、「お金持ちになりたい理由」や「成功したい理由」の先に、そういう願望が確かにあった。こんな恥ずかしくて未熟な話をあえてするのは、もちろん今はそうじゃないからだ。

こういうことって、なんとなく気づいてはいても、本心から、本能レベルで気づけないまま一生を終える人もいると思う。
「そんな好きなこと我慢するくらいなら死んだほうがマシ。好きなことして死にたい。」なんて言葉もよく聞く。

確かに、それ自体は間違っていない。
けれど──「好きなこと」、その“中身”が肝心なんだ。

でもね。
それを“理想の自由”だと思っていた自分がいたからこそ、
今の僕は、それが“自由ではない”ことを知っている。

結論から言えば、
それは“自由”ではなく、快楽の奴隷だ。
自分の欲求に支配される生き方は、一見「自由」なようで、
その実、自分で自分を縛る牢獄だ。

思い返せば、若い頃の僕は、
アルコールにしてもタバコにしても、ギャンブル的な遊びにしても、
「たしなむ程度」「自分は大丈夫」と思い込んでいた。

けれど、それが行き過ぎると“依存”につながるなんて、当時は微塵も思っていなかった。
依存は、大抵「不認の病」と言われる。
つまり、自分では認めにくい。病院で依存症と診断されていなくても、禁断症状がなくても、多少なりとも生活に影響が出ていたり、「今日はやらない」と決めた日に実行できなかったり、それがないとその日が楽しめないような状態なら──それも立派な依存だ。

そして、それが加速したある日から、
身体は確実に蝕まれ、精神はどこか空虚になり、
何かを見失っていった日々となる。

たぶん、誰もが「そこまで堕ちたくない」と思ってる。
いや、自分は堕ちてない、「嗜んでるだけ」と言い聞かせている人も多い。

でも実際には、「どこまでも堕ちていくこと」が
あまりにも甘くて、心地よくて、ズルズルと引きずられる。

ここからは意思ではなかなか抜け出せない。
人間は、意志力よりも脳の報酬系を求める機能の方が強く働くようにプログラムされているからだ。

そして気づけば、
「そこから抜け出す力」そのものが、失われていく。

これは、僕が本当に体感したことだ。

でも、ここで伝えたいのは、
そういう体験を否定したいわけでも、
誰かを責めたいわけでもない。

むしろ僕は、そういうドロドロした快楽の底を知ったことがあるからこそ、
もう二度と戻りたくないと思える自分になれたと思ってる。

十分に“底”を見たからこそ、
“自分を見失わない”生き方を選べるようになった。

僕は今、家族がいて、子どもたちがいて、仕事がある。
決して自由じゃない日々だし、やりたいことを全部できるわけじゃない。
だけど、今の僕にとっては、それが「一番の自由」なんだと思ってる。

なぜなら、
「今ここにいること」をちゃんと選び、
その選択を信じられる自分がいるから。

快楽は、時に心を癒してくれることもある。
けれど、短絡的な快楽は、
気づけば“自分を奪うもの”に変わることがある。

アルコール、嗜好品、性衝動、金銭的ギャンブル──
それらすべてを否定したいんじゃない。

ただ、「その快楽が自由や幸せのすべてだ」と思い込んだまま突き進んでしまうとき、
人は自由ではなく、“欲望の奴隷”になる。

願望に抗うことは、簡単じゃない。
でも、「その先にあるものを知っている自分」なら、
それを超えていける。

僕は、これからも飲まない。
射幸性の高すぎる快楽の習慣も選ばないし、望まない。
たとえ一人になって、時間もお金も全部手に入ったとしても。

それは「我慢」じゃない。
選んでいるんだ。

人生の軸を、自分の手に取り戻す選択を──
今日もまた、静かに続けていくだけ。

ここまで読んでくれて、ありがとう。
もしどこかで迷ってる人がいたら、
僕のこの言葉が、ほんの少しでも心の支えになったら嬉しい。

短絡的な快楽の先には、地獄が待っている。
僕は、もう十分に見た。だからこそ、もう二度と戻らない。

そんなことを考えながら、僕も今の幸せを守っていく。
愛する子どもたち、家族のために。
今日も歯を食いしばって、一生懸命、燃えて生きる。
そんな健やかな心をひとつ、今日もまた抱えて、
芸術も、学びも、真剣に生きていく。

愛してる。またね。バイバイ。

P.S.
この文章は、かつての自分に向けて書いたものです。
もし同じように悩んでいる誰かがいたら、心からの応援をこめて届けます。
誰かを責めたり、裁いたりする意図は一切ありません。

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