おはよう。
今僕は43歳。40歳を過ぎてから、ふとした瞬間に「今、自分ってどういう人間なんだろう」と考えることが増えた。これまでも内省はしてきたつもりだったけど、今の自分には、それをもう一段階深く、構造として整理して言葉にする余裕と視点がある。40年分の素材がようやく揃った感覚。これは自分にとって、前半戦の棚卸しであり、後半戦の設計図を描き始める地点だ。
昔から「自分の声を聞く」ことはライフワークだったけど、それがどこまで本質に届いていたかは、人生を半分生きた今になってやっとわかってきた。僕はずっと、「親密さ」と「制御可能性」と「孤独な表現」のあいだを行き来していた。誰かと深くつながりたい、でも自分の世界は自分のままでいたい。心から分かり合いたいけど、言葉にならない感覚で理解してくれないと不安になることがある。
この矛盾の構造こそが、僕の個性であり、資質だったと思う。
表面だけ見れば、僕は社交的で行動的で、いろんなことを一人でできるように見える。でも、その内側にはずっと、「選ばれた一人との関係にすべてをかけてしまうような不器用さ」があった。しかもそれは、独占やコントロールのような形で表れてしまうこともあった。「一緒にいるなら、ずっと一緒がいい」「お互いの全部を見せ合っていたい」という思いは、裏を返せば「相手の自由が怖い」「離れていかれるのが怖い」という感情だった。
でも今、その構造にようやく気づき、言葉にできるようになった。
過去には、関係の崩壊や喪失を何度も経験した。今思えば、僕の愛し方や距離感が、互いの心のペースと少しずれていたのかもしれない。けれどその一つひとつの出来事は、自分を調整するヒントをくれていた。
「深くつながる」ことと「互いを自由にする」ことは、きっと両立できる。むしろ、互いの自由を信じ合えないとき、人は本当には深くつながれない。
そして僕は、こうした感情や思考の整理を、日々の表現活動の中で自然にやってきた。音楽を書くこと、文章を綴ること、資格の勉強をすること、これらはすべて「自分の内側を構造化していくプロセス」だった。だからこそ、誰かの評価や反応よりも、自分の中で響くかどうかを基準にして、表現を積み重ねてきた。
表現は、僕にとって癒しであり、整理であり、自己との対話だ。その営みは、自分の奥を静かに掘り下げるような、極めて個人的な時間だった。
でも、それだけじゃなかった。音楽も言葉も、ずっと僕にとって、“誰かとつながるための手段”でもあった。僕の大切な人たちにだけは、自分の想いを届けたいと心から思えた。
だからこそ、ときには巻き込んできたし、共に作ってきた。伝えるために、近づくために、会話のきっかけとして。表現は、僕にとって“気持ちの手紙”みたいなものだったのだと思う。
最近、その表現の意味が、少しずつ変わってきた気がしている。以前は自分を整理するためだったものが、今は「この気づきが、誰かの気づきになるかもしれない」と思えるようになってきた。僕自身が、幸せを感じられるようになったからこそ、その幸せのかけらを、何かの形で分かち合いたいと思えている。
とはいえ、僕の世界は僕の世界だ。自分の考えや思いの軸は、これからも変わらない。けれど、もし同じような志や価値観を持つ人がいたなら、その人とだけは、少しだけ気持ちを重ねてみることも、ありかもしれないと思っている。
全部を一緒に作らなくてもいい。
何か一部だけを、一瞬だけ重ねること。
これは僕にとって、大きな心の変化だ。
子どもたちとの関係を通しても、それを実感している。以前は、親として完璧でいたいという思いが強すぎた。すべてを知り、守り、導こうとしていた。でも今は、彼らが少しずつ自分の世界を持ち、自分の感情で動き、自分の言葉で語ることに、頼もしさと誇りを感じられるようになった。どんな状況でも、ちゃんとつながっているという感覚。それは、僕がずっと欲しかった「安心のかたち」だったのかもしれない。
そしてパートナーとの関係もまた、学びの連続だ。お互いの自由を信じながら、一緒にいるための「設計図」をつくること。その設計は、ただのルールではなく、お互いの不安や望みを言葉にして交差させる営みだと思う。信頼とは、気持ちを抑えることではなく、むしろ正直に表現することからしか生まれないのだと、ようやくわかってきた。
この数年、僕は少しずつ、「制御ではない信頼」「独占ではない親密さ」「完璧ではない創作」「一人ではない表現」に向かって、自分を開いてきた。そのプロセスには、痛みも恐れもあったけど、今は心から「やってよかった」と思える。
自分の特性は、決して“矯正すべきもの”ではない。それは自分の色であり、地図であり、設計図の基礎だ。僕は、自分のこの不器用で直線的な親密性や、思いの強さ、完璧にしたがる創作気質を、ようやく「自分の使い方」として受け入れられ、誇りに思えるようになった。
この先の人生は、今までよりもっと「ゆるやかに」「柔らかく」「自分らしく」進んでいけたらいいと思う。他者を巻き込みながら、自分も開きながら、「一緒に変化していける関係性」を少しずつ育んでいけたらと願っている。
愛してるよ
ありがとう
そんなことを考えながら、僕は今日も生きていく。僕は今、とても幸せだ。
だからこそ、余裕を持って過去を振り返ることができている。そして願いを、今度は未来への“設計”という形で形にしようとしている。
楽しいな。つくづく、人生は楽しい。
子どもたちへ。家族へ。大切な人たちへ。
愛してる。
今日も同じ空の下で。
バイバイ。
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