おはよう。今日は広島の原爆記念日だ。
今日は、「アオギリのうた」を弾き語りした。この曲は、僕の4歳ほど年下の森光七彩さんという方が、小学校2年生の時に作詞作曲した曲だ。(学校も違うし知り合いではないけど笑)。
僕がこの歌を知ったのは約9年前だ。今も、当時の声で収録された森光さんの音源が平和資料館の近くで流れていて、あの音源がなんとも言えなく切なくなる。めちゃくちゃ好きで、そこを散歩するたびに再生ボタンを押して、フルで聞いている。
広島には原爆の熱線で焼け落ちながら、現在も生き続けているアオギリの木がある。79年前の8月6日、そのアオギリの木は被爆した。もう焼けて枯れ朽ちると思われたアオギリから新芽が出ているのを見た時に、被爆して家族を亡くし生きる希望を失った被爆者もこのアオギリのように生きようと力をもらったという話がある。平和の象徴として広島にこの話は伝わっていて、大抵の広島の小学校の校庭の片隅にはこのアオギリの二世が植えられていて、平和学習の授業のたびにこの話を聞いてきた。
広島で生まれ育った僕たちは、小さいころから原爆や戦争について、平和教育を受けてきた。小さい頃、戦争が本当に怖かった。僕は戦争に反対だ。家族が死ぬなんて考えたくもない。でも、今の世界では戦争が続いている。大人になってニュースを見ていると、どちらも正当性を訴えて、ねじれまくって、ゆがみまくった状態で、どうしようもない。戦争で大切な人が殺されたら、僕もどうなるかわからない、理屈じゃないくらい逆上するかもしれない。それくらい、多くの人の感情が飛び交っている。そこに原爆や化学兵器などの大量虐殺兵器が使われると、人だけでなく、その土地の文化や歴史ごと吹っ飛ばす。悲しいことだ。
僕は小さい頃、B29が上空を飛んでるんじゃないかと、寝るときに飛行機の音が聞こえたら怖くて寝れなかった。泣いて、母親の布団に潜り込んだ。それくらい広島の子供たちは、平和教育を受けてきた。その暁の大人が僕たち広島の大人だ。実際、ウクライナやいろんなところで戦争が起きていても、具体的に何も助けられない。何もできない。悲しいほど無力だ。こんなに平和学習をしてきたのに。平和に対する思いが強いのに。でも、僕は戦争から家族や大切な人を守る。家族の平和を守る。大きなことはできないけど、みんながそういう気持ちなんだ。でも、みんな自分のものだけ守ろうとすると、恨みが生まれて戦争になる。だから、無力だとしても、自分だけでなく、多くの人の幸せ、平和、笑顔を願っていこうと決意したことがある。音楽活動をとおして僕が歌を発信し続けるのも、その意思の表現の一つだ。たった一人の力では微力だけど、少しでもみんなの幸せ・・・、笑顔や平和を考えることが大切だと思う。みんながみんなことを思えばその延長には平和があるんだと思う。無力で悔しいけど、そう信じて進むしかない。
今日は久しぶりに「アオギリのうた」を歌った後、いろんな気持ちが込み上げて思わず涙が出た。たくさんの無念の失われた命の皆様、どうか安らかにお眠りください。
家族よ、仲間よ、本当に元気で生きてくれているだけで、健康で生きてくれているだけで幸せだ。この幸せを守るためにも、身近な人だけでなく、みんなが幸せでないといけない。その先に戦争のない平和があるんだ。あきらめずにがんばろう。多くは望まない、今、大切な人が生きているだけで、愛し合っているだけで、絆があるだけで幸せだ。それを守ろう。だから、みんなの幸せを願おう。
さぁ、8月6日。いつまでも忘れない。
お気に入り