おはよう。今日も少し雨が降っている。
梅雨が本格的に始まったね。
大地が潤い、命が育まれる、大切な季節。
自然の恵みを感じながらも、願うのはただひとつ、災害が起きませんように。
人間は自然には勝てない。だからこそ、命を守る行動と、自然との共存、感謝の気持ちを忘れたくない。
この時期になると、あの出来事を思い出す。
もう10年以上前、僕の住んでいる地域で大規模な土砂災害が起きた。
僕の友人も、その土砂に飲み込まれて命を落とした。
事故の数日前、彼の家を訪ね、たわいもない話をしたばかりだった。
その時間が今でも鮮やかに、風の音や景色の匂いとともに記憶に残っている。
彼は、あの部屋で、そのまま押し潰されて亡くなった。
そう思うと、あまりにも生々しくて、現実だとは思えなかった。
彼の部屋には、高そうな巨大なMacintoshのディスプレイがあって、彼がデザインした絵画のデータがたくさん入っていた。僕は彼のポートフォリオを見ながら、夢を語り合っていた。その直後の出来事だった。彼の持っていた想いも、才能も、努力も、全部がその日を境に途切れた。
無念だったと思う。きっと、どんなにか。
あの日から僕はずっと考えている。
自分も含めて、僕らは皆、命がいつ終わるかなんてわからない。
毎日を一生懸命に生きているけど、それが突然終わる可能性は常にある。
でも、亡くなった本人は、もうそのことを考えることすらできない。
意識がなくなった瞬間に、無念だという感情すらも消えてしまう。
だから「無念だったね」と思うのは、生き残った僕たち側の感情なのかもしれない。
実際には、そうじゃないのかもしれない。
命が終わるその瞬間まで、人は、自分の思いを実現しようとして生きている。
幸せに向かって、心の奥にある願いに向かって、精一杯、まっすぐに生きている。
だからこそ、たとえ夢半ばで終わったとしても、その日、その瞬間まで、
その人が幸せを感じながら懸命に生きていたのなら、
それで十分だと思う。
この前、3月25日。18年5ヶ月一緒に過ごしたオカメインコのミューちゃんが、天国へ旅立った。
しばらくは寂しくて、泣き続けた。
あの時も思った。
苦しそうだった最期、見送れなかった寂しさ、いろんな感情が押し寄せた。
けれど、それでも時間をかけて、心の中で向き合った。
そして思ったんだ。ミューは、あの瞬間まできっと幸せだった、と。
それが、僕にとっての救いだった。
自分の命だって、明日終わるかもしれない。
でも、だからこそ全力で、今日を生きる。
命が尽きたとき、悔いなく「幸せだった」と思えるように。
たとえ途中で人生が終わったとしても、それまでの努力や生き方が無駄になるわけじゃない。
むしろ、そのギリギリまでどれだけ真剣に生きたか、それこそがすべてだと思う。
潜在能力をフルに使って、日々を豊かに、誠実に生きていくこと。
それが、自分にできる最大の表現なんだと思う。
大切な人を大切に思う気持ち。
愛する人と心を通わせること。
その感情のなかに、人間の幸せの本質がある。
ポジティブ心理学では、ポジティブ感情ももちろん大事だけど、
それ以上に、日々のエンゲージメントと、人との関わりが重要だとされている。
「達成」は重要な要素のひとつだけど、決して幸せの本質じゃない。
達成——すなわち目標を叶えることそのものが幸せなのではなく、
その目標に向かって努力しているプロセスこそが、
人生における充実や幸福を生んでいるんだと思う。
だから、たとえ達成できなかったとしても、それで不幸だとは限らない。
命が尽きるその日まで、想いに向かって走っていたなら、
それだけで誇らしくて、幸せな人生だったと言える。
だって、若くして亡くなろうが、老年期に大往生で亡くなろうが、
本人なりにいつだって道半ばだし、達成していないことなんてひとつやふたつあるだろう。
だから、いつだって誰だって道半ば。不完全なまま最期を迎える。
早いか遅いかの違いだけ。
大切なのは、今日を生きてきたかどうか。
命を守りながら、最大限に自分らしく生きてきたこと。
だから、もしも突然、5分後にこの命が終わるとしても、
最期の瞬間に「幸せだった」と思えるように、
今日を、いまこの一瞬を、生きておこう。
例えば仮に、今が突如土砂災害に巻き込まれて、全身を圧迫されて、意識が消えるその直前。どういう思考であれるか。
「道半ばだが、いずれにせよ、早かれ遅かれ誰だって道半ばだ。
すべてを達成していないのは当たり前。
今の今まで一生懸命生きてきた。自分は偉かった。幸せだった。
愛する家族に会えなくなるのは寂しいけど、
今日まで最大限の愛を忘れなかった。偉かった。自分、すごかった。
幸せな一生だった。みんなもきっとそう言ってくれる。誇りに思ってくれる。
俺は幸せだった。僕の周りの家族も、僕が死んでもきっと幸せに生きていく。ありがとう。」
そう、心から言えるように。
夢の途中でも構わない。ギリギリまで幸せだった。それで十分だ。
そんな風に、今日という日をまた過ごしていく。僕の大切なみんな。目を閉じて、君の名前を呼び、顔を思い浮かべる。
愛してる。
本当はいつも隣にいたい。
でも大丈夫。心は、ちゃんと隣にいる。
離れていても、心はひとつ。
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✍️死を思うたび、今日を生きる意味が見えてくる
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