✍️見上げた桜と、新しい一歩

おはよう。今日はとてもいい天気。いつの間にか、すっかり桜が綺麗に咲いている。この一週間、みゅうちゃんのことばかり考えていて、景色の変化にも気づけていなかった気がする。やっと今日から、普通のブログに戻ろうと思えるようになった。

みゅうちゃんが亡くなってから、毎日ほぼ一日中みゅうちゃんのことを考えて過ごしてきた。それはとても大切な時間だった。

今日も前向きに、「行ってきます」とみゅうちゃんに伝えられた。もう涙は出ない。ちゃんと力に変えられた。そして今、ようやく自然な気持ちでブログが書けている。

昨日はたくさん歌を歌えた。確実に、何かが変わっていると感じる。歌がスッと、力まずに出るようになっている。まるで心のどこかにあったわだかまりが解けたような、不思議な軽さがある。

みゅうちゃんとの別れを通して、考え方の軸がさらに強化され、人生を見つめ直すことができた。過去を解放し、乗り越えるきっかけになったと思う。

そのおかげで、今はさらに幸せを感じている。心の奥にあった無意識の力みが取れて、自然体でいられるようになった。その心の変化が、歌声や発声にもつながっているように思う。

これからの僕の歌声には、みゅうちゃんとの気づきが宿っている。そう思うことで、みゅうちゃんの魂が歌の中に生きていると感じられる。

僕は、みゅうちゃんとの別れを乗り越え、ようやく元気になったよ。悲しみを完全に力に変えることができた。

ロケットコードの制作も、みゅうちゃんの魂を込めて進めていきたい。でも今週は焦らず、しばらくは弾き語りを楽しみたい。心ゆくまで歌を歌うこと――それが本来、自分の音楽活動の中心だったはずだから。

久しぶりに弾き語りを「たしなむ」感覚で楽しんでいる。これまで地道に練習してきたことが、今になって実を結び始めているのを実感する。

さあ、そろそろ資格の勉強にも手をつけていこう。この一週間と少しは、みゅうちゃんのことで何も手につかなかったけれど、少しずつ気持ちを切り替えて、仕事も勉強も音楽も生活も、一歩ずつ進めていこうと思う。

今回の別れを通して、両親のこともあらためて大切にしたいと思った。高齢の父と母も、そして僕自身も、妻も子どもたちも、いつ何が起こるかわからない。

みゅうちゃんのように、寿命をまっとうして90歳以上まで生きられるのは、本当に幸運なことだと思う。できれば、両親も、僕たち家族も、みんな長生きして、幸せな人生を歩めたらと願っている。でも、それが叶わないこともある。だからこそ、日々悔いのないように生きたいと、強く思うようになった。

みんなの幸せに、生きる力と今の幸せに尊敬を感じている。その幸せをともに、できる限り長く歩んでいきたい。一緒に。家族、そして自分自身へも。愛してる。信じてる。

みんな離れていても、心はいつも隣にある。心はひとつ。過去のいろんなことを、涙を力に変えて、これからも頑張ろう。では、今日もありがとう。バイバイ。

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