✍️あの道の記憶と、これからの奇跡

今日はいい天気。
空は澄んでいて、風がやさしい。桜もきれいに咲いている。
昨日、昔よく歩いた道を歩いてみた。

アスファルトのひび割れ、マンホール、白線、縁石、電線の影。
それらを遊ぶように踏みながら、ぼんやりと考え事をしていたあの頃。
時間帯によって伸びる影、踏む場所を決めていた小さなルール。
子供の頃の自分は、世界をそんなふうに観察していたんだと気づく。

数十年経った今も、同じ場所を歩くと、あの頃の空気がふっと蘇り、情景が鮮やかに浮かび上がる。

実家の近くの通学路、友達と遊んだあの坂、学生時代の通学路。
「ここを踏みながら歩いてたな」と思い出す。それだけで、胸が温かくなる。

あの頃の自分は、まだ子供で、仕事もしておらず、結婚もしていなかった。
もちろん、自分の子供もおらず、あんな出会いも、こんな出来事も、まだ何も知らなかった。

けれど今、そこに至るすべての「偶然の重なり」に、心から感謝している。

みんな、「カオス理論」って知ってるかな。
その中でも「バタフライ・エフェクト(バタフライ効果)」という概念がある。
小さな変化が巡り巡って、大きな結果を生むという考え方だ。
つまり、未来はほんの些細な出来事によって、まったく違った形になるということ。

無限にある未来の中の、たった一つのルートが選ばれて、今という状態にたどり着いている。
それを「奇跡」と呼ぶより、「偶発的な重なり」と表現したほうが正確かもしれない。

でも、その偶発的な積み重ねの中で出会えた人たち、できた家族、過ごしてきた日々。
それらはすべて、「若かった頃の自分」からは想像もできなかった未来だった。

そして今もまた、未来にとっては過去になる、この瞬間を生きている。
この先の数時間後、数日後、数ヶ月後、数年後、どんな偶然が待っていて、どんな未来が形づくられるのだろう。

未来は予測できない。
でも、だからこそ「今」をどう生きるかが大切だと思う。

そのためには、好奇心を持ち、持続性を忘れず、楽観的に、柔軟に、冒険心を持って。
そして、自分なりの「握りしめたルール」や「基準」を定期的に見直しながら、
目先のことに一喜一憂せず、感情に振り回されず、
それでも心の奥の情熱は、決して消さずに生きていたいと僕は思っている。

そうすればきっと、予測不可能な出来事すら、意味ある形に変えていける。
偶発的な事象をチャンスに変えて、中長期的に、幸せな形に落ち着いていけると信じている。

暖かい春の中、いつか歩いた懐かしい道を、今また歩きながら、
そんなことを考える時間があるということ自体、すでに「ありがたい」ことだと思った。

大切な人が元気で幸せに生きていて、帰る場所があり、働く場があり、夢があり、笑顔で暮らせる豊かさがある。
そうした基盤があるからこそ、こうしてぼんやり道を歩き、考えられる時間がある。

それは、親が元気に生きてくれていて、実家があるから。
実家の近くの道も、今はまだ寂しさがなく、明るく、優しく振り返ることができる。
けれど、親がいずれ旅立ち、実家が空になる日が来たときには、また違う感情になるだろう。
だからこそ、今感じているこの想いも、綴っておきたかった。

今、両親が元気で生きていること。帰る場所があること。
それもまた、ありがたいこと。感謝してもしきれない。

今日も、そんなことを感じながら、生きていこうと思う。
未来はわからない。けれど、それでも「今」を大切にして、
ひとつひとつの出来事に感謝しながら、自分の情熱を抱えて歩き続けたい。

離れていても、心はひとつ。
同じ空の下で、つながっている。

愛してる。
今日も、みんなが元気で、幸せに向かって一生懸命に頑張っていることを信じてる。
そして、みんながつかんだ幸せを尊敬しているし、本当にうれしく思う。

本当にありがとう。バイバイ。愛してる。
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

上にスクロール