✍️裏声から広がる可能性

おはよう。今日はいい天気で、あまり寒くない朝だ。車のフロントガラスも霜が降らず、暖かいスタートになった。

昨日はオリジナル曲「ロケットコード」のアレンジを進めた。ロックテイストのドラミングに合わせるベースラインを考え、シンプルにルート音をベースにしながら、8ビートと16ビートを織り交ぜたリズミカルなイメージを構築中。盛り上がり部分では少しメロディアスに、ルートを1オクターブ上げた音程を使おうと思う。頭の中でドラミングとベースを重ねるだけで、音が化学反応を起こし、ワクワクが止まらない。ここにボーカルとエレキギターが加わったら、どんな世界が広がるだろう。想像するだけで楽しみだ。

そんな中で、裏声の練習にも取り組み始めた。裏声――それは普段の生活では使わないのに、なぜこの世に存在するのだろう。若い頃、そんな問いに取り憑かれたこともあった。いくら調べても答えは出なかったけれど、今となっては結論なんてどうでも良い。ただ、裏声の仕組みが歌に与えてくれる恩恵、その神秘的な力に触れるたび、特別な存在だと感じる。裏声は、歌う者にとってまるで神様が授けた特別な道具のようだ。

裏声の良さは、地声に落ちず、喉や軟口蓋、表情筋を正しく使わなければ成立しない点にある。正しいフォームを自然に体得できるため、ミックスボイスの練習にも応用できる。さらに、息の量や声帯の閉じ具合、ビブラートの揺らし方まで、すべての要素を見直す機会を与えてくれる。裏声を磨き上げる過程では、普段いかに表情筋や顎周りを使い切れていないかが浮き彫りになり、それが答えを教えてくれることもある。

こうした練習を続ける中で、歌うことの楽しさを再認識している。歌う理由なんて必要ない。ただ、心の中に秘めた思いや願いを昇華させる時間が楽しいんだ。今年43歳になったけれど、まだまだ歌に込めたい感情や夢は尽きない。この歳になって、やっと自分の音楽に対する自己実現が3分の1ほど進んだ気がする。残りの100%を達成するには、100歳くらいまで生きないと時間が足りないかもしれない。それでも、もし道半ばで人生を終えたとしても、それは決して悲しいことではない。一生懸命、自己実現に向かって走り続けている最中での終わりは、むしろ喜ばしいことだ。

楽観的な考え方をすれば、生きている間に鍛錬を重ね、死後に天国のような場所で夢が叶うと信じても良いのかもしれない。もっとも、死後の世界がどうなっているかなんて誰にも分からないし、僕自身は「無」だと思っている。それでも構わない。大切なのは、生きている今だ。夢が叶うかどうかではなく、夢に向かって全力で走ること自体だ。自己実現そのものが目標ではない。夢を追いかける日々こそが青春であり、人生で一番楽しい時間なのだと、今では確信している。信じる道次第で、最期までの生き方やモチベーションは全く異なるはずだ。

そう考えると、生きることはとても素晴らしい。これからも全力で、夢を追うこの時間を楽しんでいきたい。

今日も新しい一日が始まる。同じ空の下で、いつも心はひとつ。それぞれの大切なものを胸に抱きながら、豊かさを育み、幸せを守っていこう。では、ありがとう。またね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


上にスクロール