おはよう。今日は夏休み最終日の七日目。最終日は、遊び疲れた体を少し休めて、明日からの仕事に備えたい。
それはそうと──昨日、悲しいことが起きた。2025年8月13日。3年以上育ててきたメダカたち──僕にとって“かけがえのない命”だった。
卵から孵化し、外の世界を知らず、我が家の鉢の中だけで生きてきた。最初は仲間が何匹もいたけれど、次々と命を終え、残ったのは二匹。
それからは、ずっと寄り添うように泳ぎながら、一緒に過ごしてきた。
おととい、一匹が水面から飛び出した。
たまたま気づき、すぐに救い上げて水に戻すことができた。ただ、その時すでに水質の悪化や酸素不足があったのかもしれない。
そして翌日、つまり昨日、一匹は再び外に飛び出し、もう一匹は水の中で静かに沈んでいた。
死に方は違っても、同じ日に命を終えた二匹だった。
命の別れのたびに、必ず浮かぶのは後悔と「ごめんね」という言葉。
今年3月、18年10か月を共に過ごしたオカメインコのミューちゃんとの別れのときもそうだった。「俺のせいで」と、涙が止まらなくなる。
けれど、あの時、悲しみの先に学んだことがある。それぞれの生き物は、自分の幸せや自己実現を目指して、一生懸命に生きているということ。
人間から「ごめんね」とか「かわいそう」言われる筋合いは本来なく、それは人間側の視点の押しつけだ。実際には、与えられた環境の中で、楽しみを見つけ、精一杯生き抜いていた。
もっとああしてやればよかった、こうしてやればよかった──そう思うと「ごめんね」しかない。
けれど、最後の最後まで懸命に生きた姿は、誇りに思っていいはずだ。今回の二匹も、最後まで自分の意思で動き、生きようとしていた。
命は、死の瞬間まで自分のために生きる──その姿を、僕ははっきりと見せてもらった。
二匹の遺骸は、ミューちゃんのお墓の横に埋葬した。二匹のお気に入りだった貝殻を墓標に添えて。
「ごめんね」と「ありがとう」。
そして、誇りと尊敬を込めて。
最後まで一生懸命に生きたその姿を胸に刻み、この気持ちを力に変えていく。
ごめんね、メダカちゃんたち。
ありがとう、メダカちゃん。
いつまでも心の中に。