日々のことば(ブログ)

✍️孔子の言葉はなぜ2500年も読み継がれているのか|父から教わった人生の節目の話

おはよう。今日は少し昔の話をしたい。
僕の父は昔から、いろいろな話をしてくれた。歴史の話、人間の話、生き方の話。

その中でよく出てきたのが孔子だった。
「十五にして学に志す」「三十にして立つ」「四十にして惑わず」。
「性善説」「性悪説」。

子どもの頃から何度も聞いてきた言葉だ。
その時々で、自分なりに意味を考えながら聞いていたし、年齢を重ねるたびに少しずつ実感も変わってきた。

そして今、こうして改めて人生を振り返りながらこれらの言葉を思い出してみると、その都度自分なりに解釈し、自分の人生へ当てはめながら歩んできたことに気づく。

これらの言葉には深い意味がある。
これは単なる格言ではない。
人間がどう成長し、どう学び、どう成熟していくのか。

そんな長い人生の流れを見つめた言葉なのだと思う。

今日は、父から教わった孔子の考え方について紹介してみたい。
もちろん、「これが唯一の正解だ」という話ではない。

ただ、2500年以上にわたって読み継がれ、多くの人が人生の指針として大切にしてきた言葉には、それだけの理由があるのだと思う。


◾️孔子とはどんな人だったのか

孔子は古代中国の思想家であり教育者である。
紀元前551年頃に生まれたとされ、今から2500年以上前の人物だ。

当時の中国は戦乱や混乱が続く時代だった。
孔子は王でも将軍でもない。

人としてどう生きるべきか。
社会はどうあるべきか。

人と人はどう関わるべきか。
そんなことを弟子たちに教え続けた人物だった。

その教えは後にまとめられ、論語 として現代まで残っている。
日本でも長く教育や学問の基礎として扱われ、多くの人々に影響を与えてきた。


◾️有名な「人生の節目」の言葉

孔子の言葉の中でも特に有名なのがこれだ。

十五にして学に志す
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳順う
七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず

現代風に言うと、おおよそ次のような意味になる。

十五にして学に志す

学びたいと思う心が芽生える。
人生のスタート地点である。

三十にして立つ

自分の足で立つ。
仕事や家庭を含め、自立した一人の人間として歩み始める。

四十にして惑わず

経験を重ね、自分なりの価値観が定まってくる。
周囲の評価や流行に振り回されにくくなる。

五十にして天命を知る

自分が果たすべき役割や使命について考えるようになる。
人生の意味や責任を見つめ始める時期とも言える。

六十にして耳順う

自分と違う考え方にも自然に耳を傾けられるようになる。
否定する前にまず受け止められるようになる。

七十にして心の欲するところに従えども矩を踰えず

好きなように行動しても道を外さない。
人格や価値観が十分に成熟した境地である。
孔子は、自分自身が七十歳になってようやくそこへ到達したと語っている。


◾️性善説と性悪説

父は孔子の話と一緒に、よく性善説や性悪説の話もしていた。
実は孔子自身は、人間は善であるとも悪であるとも断定していない。

その後の弟子たちが議論を深めていった。
孟子は儒学を発展させた人物として知られるが、その中でも有名なのが性善説である。

人は本来、善い心を持って生まれてくる。
困っている人を見ると助けたくなる。
他人の痛みを感じる。
そうした心が人間には備わっているという考え方である。

一方で、荀子 は性悪説を唱えた。
人は放っておけば欲望に流される。
だからこそ教育やルールが必要だという考え方だ。

どちらが正しいのか。
2500年経った今も結論は出ていない。

人には優しさもある。
欲もある。

善い面も悪い面も持っている。
だからこそ、この議論は今も続いているのだろう。


◾️現代心理学とも重なる人生観

面白いのは、孔子の人生観が現代心理学とも重なる部分があることだ。
発達心理学者の ダニエル・レビンソン は、人間の人生を発達段階として研究した。

レビンソンによれば、人はある年齢で完成するのではない。
人生の節目ごとに価値観を見直し、再構成しながら成長していくという。

若い頃には理想を追いかける。
中年期には現実との折り合いをつけながら、新しい自分を作り直していく。

高齢期には人生全体を振り返りながら成熟していく。
こうした考え方を見ると、孔子が語った人生の節目とも不思議な共通点を感じる。

もちろん現代人が必ず三十歳で自立し、四十歳で迷わなくなるわけではない。
時代も価値観も違う。

それでも人生には節目があり、そのたびに人は学び直しながら成長していく。
そんな人間理解は、今も昔も変わらないように思う。


◾️なぜ2500年も読み継がれているのか

孔子の言葉は科学ではない。しかし単なる精神論でもない。
長い人生経験の中から生まれた、人間観察の積み重ねとも言える。

学ぶこと。
働くこと。
家族を持つこと。
人と関わること。
老いること。
人生の意味を考えること。

どの時代の人も、結局は似たような問いと向き合っている。
だからこそ、遠い昔の思想家の言葉が今も読み継がれているのかもしれない。
人間そのものは、2500年前から案外変わっていないのだろう。


◾️最後に

子どもの頃から、父は折に触れて孔子の話をしてくれた。
その時々の年齢なりに受け止めてきたつもりだし、実際に自分がその年齢へ近づくたびに、「ああ、こういうことだったのかもしれないな」と感じることもあった。

だから今回改めて振り返りながら思ったのは、孔子の言葉は年齢ごとに意味が変わるということだ。
十五歳で読む孔子と、三十歳で読む孔子は違う。

四十歳で読む孔子も違う。
そして六十歳、七十歳になれば、また違う景色が見えるのだろう。

それは人生そのものが変化し続けるからだと思う
現代の心理学者たちもまた、人間について様々なことを語っている。

フランクルは、人は意味を求めて生きる存在だと語った。

ロジャースは、人には本来、自ら成長しようとする力が備わっていると考えた。
植物が自然と光に向かって伸びていくように、人にもまた、自分らしく成長しようとする力があるという考え方である。孔子の人生観も、フランクルの意味への意志も、ロジャースの実現傾向も、表現こそ違うが、人間を信じる視点という意味ではどこか共通しているように感じる。

そして人生を歩く中では、親や恩師、先輩、友人など、多くの人から様々な言葉を受け取る。
時には励ましもある。
時には厳しい助言もある。
時には耳の痛い叱責もある。

しかし本当に自分のことを思ってくれる人の言葉は、軽いものではない。
長い経験や愛情、心配や願いが込められていることが多い。
だからこそ、一度しっかり受け止めて本気で受け入れないといけない。

その上で、自分自身で考える。

学ぶ。
悩む。

そして最後は、自分で決める。
人生を生きるのは自分自身だからだ。

人は誰かの人生を代わりに生きることはできない。
結局、人生の終わる時全ての責任は自分であり、親でも子でもない。
けれど、一人で生きているわけでもない。

多くの人の愛情や教えや支えを受け取りながら、それでも最後は自分自身の足で歩いていく。
それぞれの人の中には、それぞれの実現傾向がある。

もちろん、夫婦でもそうだし、親子でもそうだ。
それぞれが持つ可能性を尊重する。

信じる。
引き出す。
支え合う。
認め合う。

それは生き方そのものというより、人と向き合う時のスタンスの問題なのかもしれない。
僕自身は、そんなスタンスで生きていきたいと思っている。

そして子どもたちにも、自分らしい人生を大切にしながら、周囲の人の人生も尊重できる人になってほしいと思う。
孔子の言葉を読み返していると、そんな当たり前だけれど大切なことを思い出させてくれる。

2500年も読み継がれてきた理由は、きっとそこにあるのだろう。

では今日も、親や子ども、家族や友人、そして周りのすべての人たちへの愛と感謝を胸に、一生懸命向き合いながら生きていこうと思う。

では、今日も、目の前の仕事を精一杯全力で頑張ろう。
それでは、またね。バイバイ。


松永 修 – MUSICおさむ

松永 修|MUSICおさむ|国家公務員|キャリアコンサルタント|作家・メディアクリエイター/音楽クリエイター(シンガーソングライター)|IT・AI設計・コンサルタント

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