日々のことば(ブログ)
✍️京、垓、極、無量大数…巨大な数字に隠された日本文化と仏教の話

✍️京、垓、極、無量大数…巨大な数字に隠された日本文化と仏教の話

おはよう、
一(いち)、十(じゅう)、百(ひゃく)、千(せん)、万(まん)、億(おく)、兆(ちょう)。

ここまでは、まあ分かる。
でも、そこから先にいくと急に怪しくなる。

京(けい)、垓(がい)、秭(し)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)、正(せい)、載(さい)、極(ごく)。

もう途中から、読めるけど意味は分からない。いや、読めないものもある。
さらに先へ進むと、

恒河沙(ごうがしゃ)、阿僧祇(あそうぎ)、那由他(なゆた)、不可思議(ふかしぎ)、無量大数(むりょうたいすう)。
なんかもう、算数というより呪文である。

ちなみに、日本語と英語圏では、数字の区切り方そのものが違う。
ざっくり対応させるとこんな感じ。

  • 千 = thousand
  • 百万 = million
  • 十億 = billion
  • 一兆 = trillion

ただ、日本語は「万・億・兆」と4桁ごとに単位が変わるのに対して、英語圏は3桁ごとに区切るので、完全一致ではない。

だから、日本人が「1億」と聞いてすぐイメージできる感覚と、英語圏の「100 million」の感覚は、ちょっとズレる。

今日はこの「大きな数の単位」の話を、ただの暗記ではなく、言葉、文化、仏教、科学の雑学として眺めてみたい。


◾️日本語の数え方は、実は4桁ごとに世界が変わる

まず面白いのが、日本語の数え方。
英語だと、thousand、million、billion、trillionという感じで、基本的には3桁ごとに単位が変わる。

でも日本語は違う。
万、億、兆、京。

4桁ごとに単位が変わる。
つまり、日本語では「1万」が大きな区切りになっている。

だから僕たちは、「1億」と言われると感覚的に分かるけど、「100 million」と言われると、一瞬、頭の中で変換が必要になる。

逆に英語圏の人からすると、「億」や「兆」は少し特殊に見えるのかもしれない。
これ、ただの言葉の違いに見えるけど、実はお金、人口、GDP、ニュースの数字を読むときにもかなり効いてくる。

数字って、ただの数字じゃなくて、言葉の単位によって感じ方が変わるんだと思う。


◾️京、垓、秭……ここから急に日常から離れていく

日本語の大きな数の単位は、ざっくり並べるとこうなる。
一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。

こうして見ると、億や兆くらいまでは現実の言葉だけど、京あたりから急に別世界になる。
京は10の16乗。

垓は10の20乗。
秭は10の24乗。

もうこの時点で、日常生活ではまず使わない。
「今日の買い物、垓円かかったわ」

なんて言ったら、家計どころか宇宙が終わる。
ただ、京だけは少しだけ現実世界にも顔を出したことがある。

日本のスーパーコンピュータ
京
は、1秒間に1京回レベルの計算を目指すという意味が込められていた。
だから「京」という単位は、完全に昔の言葉というより、科学技術の世界で一度かなり有名になった言葉でもある。


◾️でも科学者は「無量大数」とか言わない

ここも気になるところ。
じゃあ、本当の数学者とか科学者は、こういう言葉を使うのか。

結論から言うと、ほとんど使わないと思う。
少なくとも論文や研究の現場では、「垓」とか「無量大数」と言うより、普通に10の何乗と書く。

たとえば、10の48乗。
日本語の単位で言えば「極」に近い。

でも研究者同士で、
「これは極レベルの計算量ですね」

とは、たぶん言わない。

普通に指数表記で、
10^{48}
と書いた方が早いし、正確だし、世界中の人に通じる。

科学の世界では英語が共通語になっているし、単位も国際的にそろっている。
だから、キロ、メガ、ギガ、テラ、ペタ、エクサ、ゼタ、ヨタみたいなSI接頭語の方が実用的に使われる。
ギガとかテラは、もう完全に日常語になっている。

スマホの容量、通信量、ハードディスク。
僕たちは知らないうちに、けっこう科学の単位を普通に使っている。


◾️恒河沙から先は、数学というより仏教の世界

ここからが個人的に一番面白い。
恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。

このあたりは、ただの計算用語というより、仏教的な世界観とつながっている。
たとえば恒河沙。

これは「ガンジス川の砂の数」という意味らしい。
ガンジス川の砂粒ほどたくさんある。

つまり、数えきれないほど多いという感覚。
昔の人が、途方もない大きさ、果てしなさ、宇宙的な広がりを表現しようとしたとき、こういう言葉が生まれたんだと思う。

不可思議なんて、もう数字というより感情に近い。
考えても分からない。

思いはかることができない。
でも、それにも一応、数の単位としての場所がある。

ここがいい。
人間って、分からないものにも名前をつけたくなるんだろうなと思う。


◾️無量大数は「無限」ではない

名前だけ見ると、無量大数はもう無限っぽい。

無量。
大数。

いかにも、これ以上ない巨大な数という感じがする。
でも実は、数学的には無限ではない。

ちゃんと有限の数。
一般的には、

10^{68}

とされる。
もちろん、とんでもなく大きい。

人間の生活感覚では完全に限界突破している。
でも数学の世界では、10の68乗はまだまだ有限。

上には上がある。
有名なところだと、googol(グーゴル)という数がある。

これは、
10^{100}

Googleの名前の元になったとも言われる、あのグーゴル。
さらにグーゴルプレックスとか、グラハム数とか、もう聞くだけで頭が遠くなる巨大数もある。

つまり、無量大数は日本語の単位としてはかなり大きいけど、数学の巨大数の世界から見ると、まだ入口みたいなものでもある。

ここがまた面白い。
人間の言葉では「無量」と言いたくなるけど、数学は平然とその先へ行く。


◾️数字の話をしていたはずなのに、結局、人間の話になる

こういう雑学って、最初はただの算数の話に見える。

京の次は何か。
垓の次は何か。

無量大数はいくつか。
調べれば答えはすぐ出る。

でも、そこから少し深く見ると、急に世界が広がる。
日本語は4桁ごとに数える。

英語は3桁ごとに数える。
科学の現場では日本語の巨大単位より指数表記を使う。

仏教の世界では、数えきれないものを言葉にしようとしていた。
そう考えると、数の単位って、単なる暗記ではなくて、その文化が世界をどう見ていたかの跡なんだと思う。

人間は昔から、星の数、砂の数、時間の果て、宇宙の広がり、命のめぐりみたいなものを、どうにかして表現しようとしてきた。

分からない。
でも、分かりたい。

数えきれない。
でも、名前をつけたい。

そこに、人間らしさがある気がする。


◾️最後に

京、垓、秭、穣、溝、澗、正、載、極。
そして、恒河沙、阿僧祇、那由他、不可思議、無量大数。

たぶん、日常生活ではほとんど使わない。
でも、こういう言葉を知ると、数字の向こう側にある文化や歴史が少し見えてくる。

学校で習う算数の延長線上に、仏教があり、言語があり、科学があり、人間の想像力がある。
そう思うと、ただの桁数の話も、急に面白くなる。

たまにはこういう、役に立つようで立たない、でも知るとちょっと世界が楽しく見える雑学もいい。

さあ、今日も愛と感謝を胸に。
バイバイ。


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松永 修|MUSICおさむ

広島で、家族と日常を大切にしながら、音楽と文章をつくっています。作詞・作曲から、歌、演奏、録音、映像、発信まで、自分の手で育てています。音と言葉で、人生に小さな灯りを。

松永修が運営する個人事業「言と音LIFE BASE」の創作ブランドが「MUSICおさむ」です。

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