日々のことば(ブログ)

✍️なぜ連休明けはしんどくなるのか|5月病・適応・認知のクセを心理学で読み解く

おはよう。今日は、ゴールデンウィーク明けや長期休み明けに、なぜ心と体が重くなるのかについて整理してみたい。連休明けになると、「学校に行きたくない」「仕事に戻るのがしんどい」「朝から気が重い」と感じる人は少なくない。一方で、休み明けを前向きに迎えられる人もいる。この違いは、単なる性格だけではなく、生活リズム、環境への適応、認知のクセ、人間関係、日常の中にある小さな楽しみなど、いくつもの要素が関係しているのだと思う。今日は、5月病、適応、発達特性、認知行動療法、交流分析などの視点を交えながら、休み明けの心を少し客観的に整える方法を考えてみたい。

休み明けというと、「行きたくない」「気が重い」「なぜか体が動かない」という人がいる。一方で、逆に5月病どころか、ゴールデンウィーク明けが楽しみで仕方ない人もいると思う。「また始まるぞ」「やりたいことがある」「人に会える」「自分の時間が戻ってくる」みたいに、かなり前向きなモードで休み明けを迎えられる人もいる。

この違いは、単なる性格だけではないと思う。休み前の整理がうまくいっていること、日常の中に楽しみがあること、自分の生活をある程度コントロールできていること、学校や仕事の中に意味や希望を見つけられていること。そういう要素が重なると、休み明けは「憂鬱な再開」ではなく「楽しみな再始動」になる。

どちらかというと、僕は月曜日も、休み明けも、そこまで嫌じゃない。もちろん仕事は大変だし、面倒なこともある。でも、通勤時間の中に自分だけの時間があったり、仕事の中に自己実現の感覚があったり、日常の中に小さな楽しみを作ったりしている。若い頃は、たまたま友達関係がうまくいっていたとか、たまたま調子が良かったとか、そういう偶然に左右されていた。でも大人になるにつれて、「気分が安定する仕組み」や「前向きになれる構造」を少しずつ理解できるようになってきた。

ただ一方で、それがうまくコントロールできない人もいる。休み明けが重い。学校や仕事に向かうだけでしんどい。5月病のような状態になる。そういう人も、一定数どころか、かなり多いと思う。

だから今日は、ゴールデンウィーク明けの心の状態を、5月病、適応、うつ状態、発達特性、認知行動療法的な視点を交えながら整理してみたい。目的は、ただ「頑張ろう」と言うことではない。自分の状態を客観的に見て、認知が変わり、行動が変わり、少しでも気持ちが楽になること。そしてできれば、休み明けを「嫌なもの」ではなく、「少し楽しみなもの」に近づけていくための構造を考えることだ。


◾️ゴールデンウィーク明けに、人はなぜしんどくなるのか

人間は、環境の変化にかなり影響を受ける生き物だ。特に連休というのは、生活リズム、睡眠、食事、活動量、人との距離感が一気に変わる。普段より夜更かしをしたり、朝ゆっくり起きたり、仕事や学校の緊張感から一時的に離れたりすることで、脳と身体は少しずつ「休みモード」に適応していく。

ところが連休明けになると、今度は逆に「社会モード」「学校モード」「仕事モード」へ戻らなければならない。この切り替えには、かなりエネルギーが必要になる。たとえ本人が怠けているつもりがなくても、脳と身体は変化に対応するために負荷を受けている。

進学、就職、異動、新しいクラス、新しい職場。4月から頑張ってきた人ほど、ゴールデンウィークで一度緊張が切れ、5月に入ってから本当の疲れが表に出てくることがある。だから、休み明けにしんどくなるのは、決して珍しいことではない。


◾️休み明けが楽しみな人には、理由がある

一方で、休み明けが楽しみな人もいる。これはかなり大事な視点だと思う。

そういう人は、必ずしも超ポジティブな性格というわけではない。休み前に仕事や課題を整理している。休み明けに何をすればいいか見えている。会いたい人がいる。やりたいことがある。通勤や通学の中に、自分だけの楽しみがある。日常に戻ることを、ただの苦行ではなく、自分の生活の一部として受け入れている。

例えば、通勤時間に好きな音楽を聴く。通学中に好きな動画や本を楽しむ。仕事帰りに小さなご褒美を作る。学校で友達に会えることを楽しみにする。仕事の中に、自分の成長や役割を感じる。こういう小さな要素があるだけで、休み明けの見え方は変わる。

大事なのは、「休みの日だけが楽しい人生」にしないことだと思う。

平日の中にも、仕事や学校の日にも、自分にとっての楽しみや意味を一つ置いておく。それがあると、月曜日も、連休明けも、少し違って見える。


◾️「5月病」は正式な病名ではないが、軽く見ていいものでもない

よく聞く「5月病」という言葉は、正式な医学的診断名ではない。ただ、実際には多くの人がこの時期に似たような状態を経験する。

やる気が出ない。朝起きるのがつらい。食欲が落ちる。不安が強くなる。集中できない。理由もなく憂鬱になる。学校や会社へ向かう直前に、体が重くなる。こうした状態が、5月の連休明けには出やすくなる。

もちろん、それがすぐに病気というわけではない。ただ、状態が長引いたり、睡眠や食事に大きな影響が出たり、涙が止まらなかったり、日常生活に支障が出ている場合は、うつ状態や適応障害に近い状態になっている可能性もある。

大事なのは、「5月病だからそのうち治る」と軽く見すぎないことだ。同時に、「自分はもうダメだ」と決めつけすぎないことでもある。今の状態を、まずは客観的に見る。その中間の視点が大事だと思う。


◾️未就学児、小学生、中学生、高校生、大学生、社会人。それぞれに休み明けのしんどさがある

未就学園児や小学生には小学生のしんどさがある。クラス替え、先生、友達、給食、集団生活。大人から見ると小さなことに見えても、本人にとっては世界そのものだ。

中学生や高校生になると、そこに比較が入ってくる。成績、部活、恋愛、SNS、進路、人間関係の空気。思春期特有の「自分がどう見られているか」を意識しすぎる苦しさもある。

大学生は、自由度が増える分、自己管理が必要になる。授業の選択、生活リズム、金銭管理、周りとの比較・格差、アルバイト、人間関係、将来への不安。自由は楽なようで、実はかなり孤独でもある。

社会人になると、さらに責任が重くなる。仕事、成果、上司や同僚との関係、生活費、家庭、将来不安。しかも大人は、しんどいと言いづらい。だからこそ、無理を重ねやすい。

立場は違っても、本質は同じだと思う。人はみんな、新しい環境に適応しようとして疲れる。休み明けのしんどさは、子どもだけのものでも、大人だけのものでもない。


◾️順応が得意な人、苦手な人がいる

人によって、環境変化への耐性はかなり違う。

ASD傾向のある人は、予定変更、環境変化、曖昧な人間関係、集団の空気に強いストレスを感じやすいことがある。いつもの流れが崩れること自体が、大きな負担になる場合もある。

ADHD傾向のある人は、生活リズムの維持、単調な作業、継続的な管理、時間の見通しなどに苦労しやすいことがある。休み中にリズムが崩れると、再び整えるまでに時間がかかる場合もある。

もちろん、これは誰かを病名で決めつける話ではない。人間には、それぞれ特性や得意不得意があるということだ。

「みんな普通にできているのに、自分だけできない」と思うと苦しくなる。でも、「自分はこういう場面で疲れやすいんだな」と理解できると、少し対処がしやすくなる。自己理解は、自分を甘やかすためではなく、自分を適切に扱うためにある。


◾️認知が変わると、行動が変わる

休み明けに「学校へ行きたくない」「仕事へ行きたくない」と思うことがある。真面目な人ほど、その感情を持った自分を責めてしまう。「こんなことを思う自分はダメだ」「もっと頑張らないといけない」「みんな普通にやっているのに」。でも、心理学的に見ると、ここで起きているのは“性格の弱さ”ではなく、「認知」と「感情」と「行動」の連鎖だったりする。

認知行動療法の世界では、アーロン・ベックという精神科医が「自動思考」という考え方を提唱した。自動思考というのは、瞬間的に頭の中に浮かぶ“反射的な考え”のことだ。例えば、朝起きた瞬間に「また学校か、最悪だ」「今日も怒られるかもしれない」「失敗するかもしれない」「どうせうまくいかない」といった考えが、ほとんど無意識に浮かぶ。

すると、その認知に引っ張られて、不安や憂鬱感が強くなる。身体も重くなる。行動したくなくなる。休む、遅刻する、逃げたくなる。そうすると今度は、「やっぱり自分はダメだ」という認知がさらに強くなる。

つまり、認知、感情、行動、結果、さらに認知の強化というループが起きる。

ここで大事になるのが、「認知の歪み」に気づくことだ。認知の歪みとは、現実をそのまま見ているようで、実は少し極端に、悲観的に、偏って受け取ってしまう心のクセのことだ。

例えば、一度失敗しただけで「全部ダメだ」と感じるのは、全か無か思考だ。100点でなければ0点、成功でなければ失敗、という極端な見方になっている。

少し注意されただけで「嫌われた」と決めつけるのは、結論の飛躍だ。十分な根拠がないのに、悪い方向へ先回りして判断してしまう。

一つうまくいかなかっただけで「自分はいつもこうだ」と考えるのは、過度の一般化だ。一回の出来事を、人生全体や自分全体に広げすぎてしまう。

良いことがあっても「たまたまだ」「たいしたことない」と打ち消してしまうのは、肯定的側面の否定だ。本当はできている部分があるのに、それを受け取れなくなる。

悪い部分だけを拾い上げて、全体まで悪く見てしまうのは、心のフィルターだ。十個のうち九個うまくいっていても、一個の失敗だけに意識が集中してしまう。

「きっと失敗する」「どうせうまくいかない」と未来を悪く予測するのは、先読みの誤りだ。まだ起きていないことを、もう決まったことのように感じてしまう。

相手の表情や態度を見て「きっと自分を嫌っている」と思い込むのは、読心術だ。相手の心を読めているようで、実際には自分の不安を相手に映していることがある。

小さな失敗を大きく見積もり、自分の強みや成果を小さく見積もるのは、拡大解釈と過小評価だ。失敗は巨大化し、成功は縮小される。

「こうあるべき」「こうしなければならない」が強すぎるのは、べき思考だ。真面目さや責任感の裏側で、自分を追い詰める原因になる。

根拠が曖昧なのに、「なんとなく不安だから危険に違いない」と感じるのは、感情的決めつけだ。感情が強いと、それが事実のように見えてしまう。

そして、「自分はダメな人間だ」「自分は弱い」と自分全体にラベルを貼ってしまうのは、レッテル貼りだ。本当は一つの行動や一つの状態にすぎないのに、自分という人間全体を否定してしまう。

こうした認知の歪みは、誰にでも起きる。特に疲れている時、睡眠不足の時、環境変化が大きい時、人間関係で不安がある時ほど強くなる。だから大事なのは、「自分の考えを全部真実だと思い込みすぎないこと」だ。

「今は環境変化で脳が疲れている」「4月から頑張ってきた反動が出ている」「休みモードから社会モードへ切り替え中なんだ」「今の不安は事実ではなく、疲労による認知かもしれない」。こう考えられるだけで、気持ちは少し変わる。

さらに、アルバート・エリスという心理学者は、人間を苦しめるのは出来事そのものではなく、その受け取り方だと考えた。例えば、「休み明けで学校や仕事が始まる」というのは事実だ。でもそこに、「絶対に完璧にやらなければならない」「嫌われてはいけない」「失敗してはいけない」「休んではいけない」という思考が重なると、苦しさは何倍にもなる。

エリスは、こうした思考を非合理的信念と捉えた。つまり、人は出来事そのものよりも、「こうでなければならない」という硬い思い込みによって苦しくなることがある。逆に言えば、「失敗してもいい」「今日は60点でもいい」「慣れる途中なんだから疲れて当然」「今は調整期間なんだ」と考えられると、心は少し柔らかくなる。

ここに、精神分析の流れでは、アンナ・フロイトが整理した防衛機制の考え方も重なる。。防衛機制とは、心が傷つきそうになった時に、無意識に自分を守ろうとする反応のことだ。これもまた、弱さではなく、人間の心に備わった防御反応だと思う。

例えば、本当は怖いのに、逆に強がったり攻撃的になったりすることがある。これは反動形成だ。心の奥にある不安や恐れを、その反対の態度で覆い隠そうとする。

嫌な現実を直視できず、「そんなことは起きていない」と見ないようにすることもある。これは否認だ。心が一気に壊れないように、現実から一時的に距離を取っている。

自分の中にある不安や怒りを、相手のせいにしてしまうこともある。これは投影だ。「相手が自分を嫌っている」と感じているけれど、実は自分の中の不安が相手に映し出されている場合もある。

本当の理由とは違う、もっともらしい理由を作ることもある。これは合理化だ。「本当は怖かったから避けた」のに、「行く意味がなかったから行かなかった」と説明するような形だ。

しんどい感情を感じないように、心を切り離すこともある。これは抑圧や隔離に近い反応だ。嫌な感情を奥に押し込めたり、出来事は覚えているのに感情だけを感じないようにしたりする。

また、不安や怒りを勉強、仕事、創作、運動などに変えていくこともある。これは昇華だ。防衛機制の中でも、比較的成熟した形だと思う。つらさをただ破壊的に出すのではなく、自分の成長や表現につなげていく。

こう考えると、人間の心はかなり複雑だ。休み明けにしんどい時、人は単に怠けているわけではない。認知が歪んでいることもある。自動思考に巻き込まれていることもある。非合理的信念に縛られていることもある。防衛機制で自分を守っていることもある。

だからこそ、自分の状態を一歩引いて見ることには意味がある。

「あ、自分は今、全か無か思考になっているな」
「少し注意されただけで、全部否定されたように感じているな」
「本当は不安なのに、怒りでごまかしているかもしれないな」
「これは事実というより、疲れた脳が作っている解釈かもしれないな」

こうやって言語化できるだけで、感情に飲み込まれにくくなる。

さらに、行動心理学の世界では、オペラント条件づけという考え方もある。簡単に言えば、人間は快を感じる行動を繰り返しやすく、不快だけが強い行動は避けやすくなる。

だから、学校や仕事そのものが全部「苦痛」になると、人はどんどん避けたくなる。逆に、そこに小さな快や報酬を組み込むと、脳は少しずつ「学校や仕事=完全な苦痛ではない」と学習していく。

通勤中に好きな音楽を聴く。昼休みに好きな本を読む。仕事帰りに小さなご褒美を作る。学校で友達と話すことを楽しみにする。帰宅後に好きな時間を確保する。こうした小さな快は、決して軽いものではない。日常を続けるための大事な設計だ。

つまり、休み明けを楽にするには、気合いだけでは足りない。

自動思考に気づく。認知の歪みを見つける。非合理的な「べき」を少し緩める。防衛反応を理解する。小さな快を日常に入れる。行動を少しずつ整える。

こうした構造的な理解があると、休み明けの苦しさは、ただの根性論ではなく、扱えるものになっていく。

そして面白いのは、最初から元気だから前向きなのではなく、こういう工夫を積み重ねることで、結果として「休み明けが嫌じゃない状態」を作っていけることだと思う。


◾️人間関係に振り回されすぎない|交流分析と“ゲーム理論”の視点

ここまでの話は、どちらかというと「自分の内面」を整理する話だった。自動思考、認知の歪み、防衛機制、行動の設計。こういう理解があるだけで、休み明けのメンタルはかなり安定しやすくなる。

でも実際には、人間は“他人”によってもかなりメンタルを削られる。

特に休み明けというのは、みんな少し不安定だ。学校でも職場でも、「自分を守るため」に、無意識に他人へストレスをぶつける人が出やすい。

ここで役に立つのが、交流分析、いわゆるエゴグラムや“ゲーム理論”の視点だ。

交流分析では、人間の心の状態を大きく3つに分ける。

・CP(批判的な親)
・NP(保護的な親)
・A(大人)
・FC(自由な子ども)
・AC(順応した子ども)

という考え方がある。

例えば、イライラして説教ばかりする状態はCPが強い。優しく世話を焼くのはNP。冷静に事実を見るのはA。自由で楽しい感情はFC。空気を読みすぎて我慢するのはAC。

そして、人間関係のトラブルの多くは、“A(大人)同士の冷静な会話”ではなく、感情的な裏面的交流で起きる。

つまり、表向きは普通の会話でも、裏では「支配したい」「マウントを取りたい」「不安をぶつけたい」「自分を守りたい」という感情が走っている。

これを理解するだけで、人間関係はかなり楽になる。

例えば、休み明けによくあるのが、「なんでそんなこともできてないの?」みたいな、必要以上にトゲのある言い方。これは表面上は“指摘”でも、裏では「自分も不安だから優位に立ちたい」という交流だったりする。

あるいは、「大丈夫?」と言いながら、実際には不安を煽ってくるタイプ。「そんなペースで間に合うの?」「それヤバくない?」みたいな会話もそうだ。

また、「私はこんなに大変なんだから、あなたも苦しむべき」という無意識の巻き込みもある。

交流分析では、こういう“無駄な心理戦”を「ゲーム」と呼ぶ。

もちろんゲームと言っても楽しい意味ではない。誰も幸せにならない、消耗するだけの心理的なやり取りだ。

有名なパターンとしては、

「はい、でもゲーム」
これは、相手がアドバイスしても「はい、でも…」で返し続ける。実際には解決したいというより、“わかってもらえない自分”を維持している状態。

「キックミーゲーム」
無意識に相手をイラつかせ、「ほら、やっぱり嫌われた」という結論へ持っていく。本人は傷つくが、心の中の“どうせ自分なんて”を確認して安心してしまう。

「かわいそうな私ゲーム」
常に被害者ポジションを取り、周囲からの同情や注目を求める。もちろん本当に苦しい場合もあるが、そこに固定化すると抜け出しにくくなる。

「裁判ゲーム」
どちらが悪いかを延々争い、勝ち負けへ持ち込む。問題解決より、“自分の正しさ”が目的化している。

「見たぞゲーム」
相手のミスや矛盾を探し、指摘して優位に立とうとする。休み明けで不安定な時期には特に増えやすい。

「あなたのせいでゲーム」
自分の不調や不満を、全部他人や環境の責任にしてしまう。

こういう交流は、一瞬スッキリすることがある。でも長期的には、ほぼ誰も幸せにならない。

だから大事なのは、「乗らないこと」だ。

これは逃げではない。かなり高度な自己防衛だと思う。

相手が不安定だからといって、そのゲームに参加しなくていい。

必要以上に反論しない。
感情で返さない。
勝ち負けに入らない。
“正しさバトル”をしない。
相手の不安を全部引き受けない。

そして、できるだけ“A(大人)”の状態を保つ。

つまり、
「事実は何か」
「今どうすればいいか」
「感情に巻き込まれすぎていないか」
を冷静に見る。

例えば、

「この人、今かなり不安定なんだな」
「攻撃しているようで、実は自分を守っているんだな」
「これは問題解決じゃなく、感情処理のゲームだな」

こう見えるだけで、かなり違う。

もちろん、人間だから傷つく時はある。イラつく時もある。でも、“全部まともに受け取らない”というのは、本当に大事な技術だと思う。

特に休み明けは、みんな余裕がない。

学校でも、職場でも、家庭でも、不安定な人は増える。だからこそ、「相手の感情に全部飲み込まれない」「不要なゲームに参加しない」という意識を持っておくだけで、防御力はかなり上がる。

認知を整えること。
生活を整えること。
小さな楽しみを作ること。
そして、人間関係の“無駄なゲーム”に巻き込まれすぎないこと。

この辺りを意識できると、休み明けの世界は、少しだけ生きやすくなると思う。


◾️日常の中に、小さな楽しみを仕込む

休み明けを少しでも楽にするには、日常の中に楽しみを仕込むことが大事だと思う。

これは、大げさな夢や目標でなくていい。通勤中に好きな音楽を聴く。朝のコーヒーを少し楽しみにする。昼休みに読む本を決めておく。学校で友達と話すことを一つ決めておく。仕事帰りに少しだけ寄り道する。帰ったら好きな動画を見る。自分の成長につながる勉強を少しだけ進める。

人は、嫌なことだけのためには動きづらい。でも、その先に小さな楽しみがあると動けることがある。

学校は面倒くさい。でも友達に会える。
仕事は大変。でも自分の力が少しずつついている。
通勤は疲れる。でもその時間だけは音楽や学びの時間になる。

こういうふうに、日常の意味づけを少し変えるだけで、休み明けの重さは変わる。これは気合いの話ではなく、自分の生活を設計する話だ。

そしてこれは、実はかなり深いテーマでもある。

よく、人が最後に自死へ追い込まれる時というのは、「一筋の光すら見えなくなった時」だと言われることがある。もちろん現実はもっと複雑だし、単純化はできない。でも逆に言えば、どれだけ苦しい状況でも、「まだ少し先に楽しみがある」「ここを超えたらこれがある」「この人に会いたい」「これをやってみたい」という小さな希望が、人を支えていることは本当に多い。

つまり、人間は“希望”でかなり生き延びる。

これは別に、大成功しろとか、大金持ちになれとか、夢を叶えろという話ではない。

むしろ逆で、「明日の昼にコンビニで好きなものを食べよう」とか、「金曜日の夜にゲームしよう」とか、「帰ったら子どもの顔を見よう」とか、「推しの動画を見よう」とか、「この曲を通勤中に聴こう」とか、そういうレベルの“小さな光”が、実はメンタルをかなり支えていたりする。

学校や仕事がつらい時ほど、この“小さな希望”を意識的に日常へ配置することは大事だと思う。

人間は、「苦しみそのもの」だけで折れるわけではない。「苦しみが永遠に続く」と感じた時に、一気に心が危なくなる。

だからこそ、「この後に少し楽しみがある」という感覚は、かなり重要な自己防衛なんだと思う。

しかも面白いのは、この“楽しみ”は、待っているだけでは自然発生しにくいことだ。ある程度、自分で作る必要がある。

好きな音楽を探す。
居心地のいい店を見つける。
趣味を持つ。
推しを作る。
学びを持つ。
誰かとの約束を入れる。
小さなご褒美を設計する。

つまり、「日常の中に希望を埋め込む」という感覚だ。

これは、メンタルが弱い人のための特別な技術ではない。むしろ、長く社会を生きている人ほど、無意識にこれをやっていることが多い。

仕事は大変。でも昼休みが楽しみ。
学校は面倒。でも友達に会える。
育児は大変。でも寝顔を見ると救われる。
通勤は疲れる。でもその時間は自分だけの世界になれる。

こういう“小さな希望の設計”があると、人は少しずつ前へ進める。

だから、休み明けを楽にするというのは、「気合いで頑張る」ではなく、「どうすれば自分の脳と心が動きやすくなるか」を理解して、生活を設計していくことなんだと思う。


◾️今日を完璧に乗り越えなくていい

休み明けの初日は、完璧にこなさなくていい。

学校に行けただけでもいい。会社に向かえただけでもいい。朝起きただけでもいい。途中で疲れてもいい。緊張してもいい。不安があってもいい。

大事なのは、ゼロか100かで考えないことだ。

今日は60点でいい。40点でもいい。もっと言えば、10点でもいい。とりあえず今日を通過する。それだけでも十分に意味がある。

人間は、少しずつ慣れる。4月の最初は怖かった場所も、5月、6月と進むうちに少しずつ日常になることがある。今の気持ちが永遠に続くとは限らない。

だから、今日しんどい人は、自分を責めすぎなくていい。今は、再起動に時間がかかっているだけかもしれない。


◾️それぞれの5月を越えていく

大人になって、あるいは仕事を引退して、昔を振り返る人も、きっと何度もこういう5月を越えてきたのだと思う。

小学校の5月。中学校の5月。高校の5月。大学の5月。就職したばかりの5月。異動した後の5月。子育て中の5月。

その時はしんどくても、後から振り返ると「あの時の自分もよくやっていたな」と思えることがある。人生はずっと適応の連続だ。新しい場所に慣れ、新しい関係に慣れ、新しい自分に慣れていく。

だから今日、気が重い人も、元気な人も、少しだけ自分を客観的に見てみるといい。

「自分は今、何に疲れているのか」
「何が不安なのか」
「何を少し減らせば楽になるのか」
「何を楽しみにできるのか」
「誰に話せば少し軽くなるのか」

そうやって自分を見つめることは、弱さではない。むしろ、自分を大切にするための知性だと思う。


◾️最後に

休み明けがしんどいのは、決して珍しいことではない。環境の変化に適応しようとしている証拠でもある。

大切なのは、自分を責めすぎないこと。認知を整える。生活リズムを整える。小さな楽しみを作る。人間関係のゲームに巻き込まれすぎない。そうやって少しずつ日常を取り戻していけばいい。今日が100点でなくてもいい。

まずは今日を一日過ごす。それだけでも十分価値がある。休み明けにしんどさを感じている人の心が、少しでも軽くなれば嬉しい。

愛と感謝を胸に、バイバイ。


松永 修|MUSICおさむ

広島で、家族と日常を大切にしながら、音楽と文章をつくっています。作詞・作曲から、歌、演奏、録音、映像、発信まで、自分の手で育てています。音と言葉で、人生に小さな灯りを。

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