日々のことば(ブログ)

京都の男の子事件から考える|衝撃的なニュースに心を持っていかれそうな方へのアドバイス

おはよう。今日は、今、連日報道されている京都の男の子の事件について、少しだけ触れながら、僕が強く感じたことを書いておきたい。

まず最初に。
亡くなられた男の子に、心から哀悼の意を表したい。
そして、ご家族のことを思うと、本当に言葉がない。

今、報道されている範囲での事実だけを、ごく簡単に整理しておく。京都府南丹市で11歳の男子児童が3月23日に行方不明となり、その後、山林で遺体が見つかった。警察は4月16日、父親を死体遺棄の疑いで逮捕し、各社報道では、殺害を認める趣旨の供述も出ていると伝えられている。ただ、事件の全体像や詳しい経緯、動機などは、なお捜査中の段階だ。  

この件について、正直、いろんな情報や意見が飛び交っている。
ただ、現時点で分かっていないことも多いし、僕自身がこの事件に対して何かを断定的に語る立場ではないと思っている。

だから、事件について、感情的な判断は慎みたい。
これはあくまで、今の時点での自分の立場として、最初にきちんと書いておきたい。


◾️報道とネットの中で起きていること

今回の件は、事件そのものの重大さに加えて、報道のされ方や、SNSでの広がり方も含めて、大きな注目を集めている。

断片的な情報が切り取られる。
真偽の分からない話が広がる。

それぞれの立場からの感情的な意見がぶつかる。
今の時代、ある意味では避けがたいことなのかもしれない。

でも、その中で僕が強く思うのは、見ている側の心もまた、大きく揺さぶられているということだ。


◾️人は、自分の人生を重ねてしまう

こういう事件に触れたとき、人は無意識に、自分の人生や、自分の家族や、自分の過去と重ねてしまうことがある。
心理学の言葉でいえば、「投影」とか、「同一化」とか、そういうものに近いんだと思う。

被害者側に、自分や自分の子どもを重ねる人もいる。
容疑者側の境遇や家庭環境に、自分の過去や今を重ねる人もいる。

あるいは、昔の傷や、不安や、怒りが、一気に引っ張り出される人もいる。
それ自体は、人として自然な反応だと思う。

悪いことでもない。
ただ、問題は、その感情に引っ張られてしまうことだ。

本来は、自分の出来事ではない。
でも、見続けるうちに、読んでいるうちに、考えているうちに、いつの間にか、自分の感情や判断や行動まで揺さぶられてしまうことがある。


◾️良い方向ならいい。でも、悪い方向に引っ張られることもある

こういうニュースに触れて、自分はもっと家族を大切にしよう、もっとちゃんと人の苦しさに気づける人でいたい、
そう思えるなら、それは一つの大事な学びだと思う。

でも、現実には、それだけじゃない。必要以上に不安になる人もいる。

自分の家庭まで壊れるんじゃないかと怯える人もいる。
過去の傷を思い出して、日常生活にまで影響が出る人もいる。

あるいは、自分と似ていると勝手に思い込んで、衝動的な考えや行動に引っ張られてしまう人もいる。
しかも、こういうときの厄介なところは、本人がそれに気づかないことがあるということだ。

自分は冷静だと思っていても、実はかなり引っ張られている。
そういうことは、普通に起こる。


◾️周りの人が、そっと現実に戻してあげてほしい

だからこそ、周りの人の存在が大事だと思う。
もし身近な人が、こういう衝撃的な事件に強く影響されているように見えたら、難しいことを言わなくていい。

正論をぶつける必要もない。
説教なんて、なおさらいらない。

むしろ、すごくシンプルな言葉でいい。
「これはあなたのことじゃないよ。」
「今回の事件と、あなたは同じじゃないよ。
「関係ないよ。」
「似ているように見えても、別の話だよ。」

本当に、そういう当たり前の言葉でいい。」
でも、その当たり前の言葉が、本人をふっと現実に戻してくれることがある。

あ、そうか。
これは自分のことじゃないんだ。

自分は、自分の人生をちゃんと見ればいいんだ。
そう思えるだけで、人は少し解放される。

そしてできれば、周りがそう言ってあげるだけじゃなくて、本人自身が、自分でその言葉を言えるようにしてあげてほしい。

これは自分のことじゃない。
自分は、自分の人生を見ればいい。
そう自分で言えるようになると、人は少しずつ落ち着いていける。


◾️模倣や連鎖を防ぐための、身近なストッパー

有名人の自死の報道のあと、引っ張られてしまう人が出ることがある。

これは、もうずっと言われてきたことだ。
今回のような衝撃的な事件でも、種類は違っても、似たようなことは起こりうると思っている。

被害者側に自分を重ねすぎて、極端な不安に飲まれる人。
容疑者側の境遇に、危うい形で共鳴してしまう人。
自分の家庭や過去の体験と結びつけて、苦しさが増幅してしまう人。

大半の人は、そこまでならない。
でも、一部の人は、確かに引っ張られる。

しかも、そういう人ほど、自分では気づいていないことがあるし、こういう文章も読まないことが多い。
だからこそ、周りの人がストッパーになってあげてほしい。

いわば、ゲートキーパーみたいな役割だと思う。
危うい方向に心が引っ張られている人を、そっと止める。

強く抱きしめるんじゃなくて、現実の地面に足を戻してあげる。
それだけでいい。
でも、それがすごく大事なんだと思う。


◾️僕たちは、心を揺らしながらも、飲み込まれすぎないこと

こういう事件に触れて、心が揺れるのは当たり前だ。
揺れないほうがおかしいのかもしれない。

でも、揺れることと、飲み込まれることは違う。

社会のことを知る。
現実を受け止める。
痛ましさを感じる。

そこまでは大切だと思う。

ただ、その先で、自分の人生まで見失ってはいけない。
自分の家族、自分の生活、自分の判断、自分の毎日まで、ニュースに持っていかれすぎないこと。

そこは、ちゃんと意識しておくだけで全然心の対処が変わってくると思う。

事件は事件。
自分は自分。
似て見えても、同じじゃない。

ここを、何度でも確認していい。


さあ、今日もこういった社会のことをしっかりと受け止めながら、ただ、目の前の自分に正しく、懸命に向き合っていこう。

逆算して、自分の人生に活かしていこう。
自分の大切な人、自分自身、そして世の中のために、ずっと懸命な選択、行動、判断が取れるように。

豊かに生きていこう。
さあ、今日も愛と感謝を胸に。

バイバイ。


松永 修 – MUSICおさむ

松永 修|MUSICおさむ|国家公務員|キャリアコンサルタント|作家・メディアクリエイター/音楽クリエイター(シンガーソングライター)|IT・AI設計・コンサルタント

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