日々のことば(ブログ)

✍️スーパー戦隊、ありがとう──2世代で受け継いだヒーローたちの記憶

おはよう。昨日に引き続き、秋雨の冷える朝だ。まだ冬とまではいかないこの季節を、もう少しだけしっかりと楽しみたい。さて今日は、歴史的ニュースとなっている“戦隊もの”が終わるという話についてつづりたい。

◾️半世紀にわたる夢と勇気の物語

「スーパー戦隊シリーズ」が終わる――そんな報道を目にして、胸の奥がざわついた。1975年の『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まり、実に半世紀。僕が子どもの頃、テレビの前でワクワクしながら見ていたヒーローたちの歴史が、ついに幕を下ろすかもしれないという。

関係者の話によれば、イベントやグッズ、映画などによる収入が制作費に見合わず、番組としての継続が難しい状況にあるという。一方で、テレビ朝日は「今後の編成についてはお答えしていません」とコメントしており、まだ公式発表はされていない。

それでも、長い年月をともに歩んできた視聴者にとって、このニュースはやはり大きい。SNSでは「信じられない」「人生の一部だった」という声があふれている。

◾️1981年生まれの僕が見てきた戦隊たち

僕は1981年生まれ。まさに“熱々時代”の真っただ中で戦隊シリーズに育てられた世代だ。『ライブマン』『ジュウレンジャー』『カクレンジャー』『メガレンジャー』……挙げればきりがない。学校で友だちと変身ポーズをまねして遊んだ。戦いごっこの中に、正義とか友情とか、まだ言葉では説明できない“憧れの原型”が確かにあった。

僕が子どもだった頃の作品は、『デンジマン』『サンバルカン』『ダイナマン』『バイオマン』『チェンジマン』『フラッシュマン』『マスクマン』。この名前を聞くだけで、当時のワクワクした気持ちや、両親の顔、そして幼い僕と兄弟の笑顔まで思い出す。

そして父親になってから、子どもたちと一緒に見た“青春の戦隊”が、『ボウケンジャー』『ゲキレンジャー』『ゴーオンジャー』『シンケンジャー』『ゴセイジャー』『ゴーカイジャー』『キョウリュウジャー』『トッキュウジャー』『ブンブンジャー』どの名前を聞いても、あの時の、あの頃の子どもたちの笑顔が脳裏に浮かぶ。

2世代をまたいで、僕の人生にはいつも戦隊ヒーローがいた。まるで家族のアルバムのように、その時々のヒーローが、確かに時代を刻んでくれている。

クリスマスや誕生日には決まって、これらを模したおもちゃをおねだりしたものだ。変身ベルトやロボット、武器セット。僕自身もそうしてもらったし、今度は父親として、息子たちにもたくさん買ってあげてきた。上の子世代まではまだ戦隊ブームの余韻があったけれど、近年では、下の子どもたちが戦隊もののおもちゃをあまり欲しがらなくなったことをリアルに実感している。

YouTubeやSNSが発達し、リアルな情報や刺激があふれる世界の中で、ファンタジーの魅力が少しずつ通じにくくなっている。昔は情報が少なかったぶん、「もしかして本当なのかもしれない」という夢があった。けれど今の子どもたちは、早い段階で現実を知ってしまう。あまりにも“作り物の世界”だと分かってしまうのだ。

そしてもう一つ。「正義の味方が悪を倒す」という構造そのものも、時代とともに問い直されてきた。戦後から続くこの“勧善懲悪”の構図は、かつて社会が求めていた明快さでもあったけれど、今の時代にはどこか違和感を持つ人も増えている。善と悪がはっきりと分かれる世界観は、裏を返せば“対立を前提とする物語”でもある。現実社会での戦争やいじめ、分断のニュースに心を痛める中で、「敵を倒す」という発想そのものに抵抗を感じる親たちも出てきている。

よく考えれば、あれは“桃太郎の現代版”だったのかもしれない。正義の旗のもとに敵を退治するという古い神話的構造の延長線上に、戦隊ものはあった。だから「もう古いね」と感じる親世代が増えたのも自然なことだ。

その一方で、制作サイドもこの変化を深く理解し、脚本や構成には時代の視点を反映させようと多くの工夫を重ねていた。だからこそ、時に子どもには少し難しく、大人が見てもどこか哲学的などんでん返しのある物語も増えた。半世紀にわたって“古き良きヒーロー像”を守りつつ、現代の価値観を織り込んできた制作陣の努力には、心から拍手を送りたい。

それにしても、作品そのものを見ても、時代の変化は明らかだ。昔は現場で爆破やスタントを駆使した“生の特撮”だったが、今は明らかにグリーンバックとCGで構成されているのが分かってしまう。画面の奥行きも、爆風の熱も感じない。あの頃の“土と汗の匂い”がなくなってしまった。製作費の圧迫もあるのだろうが、画面越しにその苦しさが透けて見えて、なんだか切なくなった。

あの現場の空気を知っている世代として、ただの娯楽作品というより、文化の灯が少しずつ小さくなっていくような寂しさを感じたのだ。

◾️文化としてのヒーロー

戦隊ものは、単なる子ども向け番組ではなかった。時代の空気を映し出す鏡でもあった。
80年代は高度成長の余熱と科学への夢、90年代は多様化と仲間意識、2000年代以降は個の尊重や共生のメッセージ。ヒーローの形は時代とともに変わっても、「誰かを守る力」と「仲間を信じる心」は変わらなかった。だからこそ、子どもだけでなく、大人たちもどこかで心を打たれ続けてきたんだと思う。

それは、社会がまだ“信じる力”を持っていた時代の象徴でもある。特撮スーツの中には、俳優たちの汗と誇りが詰まっていた。いま、その構造や価値観が変わろうとしているのは、決して悪いことではない。ただ、あの時代のまっすぐなヒーロー像を共有できた僕らの世代には、やはり特別な郷愁がある。

◾️未来へ受け継がれるもの

いずれ、この事実すら懐かしい歴史の一頁として語られるだろう。
僕たちはいま、その歴史の中にいる。数十年後、数百年後、あるいは数千年後には、僕ら自身が教科書の中の人になる。けれど、いまこの瞬間も、文化のひとつを形づくっている。懐かし映像の中で、クリスマスに戦隊ヒーローのソードを握りしめる子どもたちが映るだろう。

僕にはたくさんの子どもたちがいる。きっと僕の子孫の誰かが、遠い未来で「昔、スーパー戦隊という番組があってね」と語る日が来るかもしれない。その時、僕は空からその景色を見ながら、静かに微笑んでいるだろう。

今日も同じ空の下で、家族を愛し、懐かしきヒーローたちに心からありがとうを伝えたい。
スーパー戦隊よ、そして愛する者たちよ。僕の人生に夢をくれて、ありがとう。


◾️あとがき

このニュースをきっかけに、あらためて自分の半生をたどってみた。
子どもの頃は、テレビの中のヒーローたちに憧れ、彼らの強さに勇気をもらっていた。
そして大人になった今は、ヒーローたちの“背中”を見て、誰かを守ることの重さや、優しさの意味を少しずつ理解できるようになった。

ヒーローはもう画面の中にはいないかもしれない。けれど、あの頃のワクワクや、誰かを思いやる気持ちは、確かに僕たちの中で生きている。そう思うと、スーパー戦隊は単なる番組じゃなく、人生のどこかで背中を押してくれた“時代の象徴”だったんだと思う。

最近、そんな気持ちもあって、いろいろ調べていたら――
昔の戦隊シリーズのBlu-ray BOXや、音楽コレクション、メモリアルグッズが今もたくさん出ていることを知った。
しかも中にはもう在庫が少なく、プレミアがつき始めているものもある。

正直、自分の中でコレクション熱が再燃していて、いつか本当に入手困難になる前に、思い出の作品だけでも手元に置いておきたいと思っている。

Amazonプライムビデオでは、サンバルカンやゴーカイジャーなど懐かしいシリーズが見放題になっている。
Blu-ray BOXやサントラを聴けば、あの頃の“朝のワクワク”がそのまま蘇る。
もしこのブログを読んで懐かしい気持ちになったなら、あなたの中のヒーローにも、もう一度会ってみてほしい。

ヒーローたちは、これからも僕たちの中で生き続ける。
ありがとう、スーパー戦隊。
そして、これからの時代にも、ヒーローの魂が静かに受け継がれていきますように。

▼あの頃のヒーローに、もう一度会いたい方へ
スーパー戦隊シリーズ Prime Video 配信ページ
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